20日目午前「糀仕込み」〜 命の花を咲かせよう

今日の午前中は、やすえどんによる糀仕込み講座!

やすえどん
やすえどん

こうじ(糀・麹)とは、米、麦、大豆などのようにでんぷんやたんぱく質を含む材料を蒸煮して、これにこうじ菌を繁殖させ、色々な酵素を生成させたものです。このこうじを原料として、酒や味噌、しょう油、御神酒などの加工品ができるのです。今回は、4日後の「味噌作り講座」で使う、味噌用の「糀」を仕込みます。

こうじ菌は「国菌」とも称される日本特有の微生物であり、目に見えないところで日本人の暮らしをずっと支えてきてくれた存在です。

美しい糀の花
美しい糀の花

「神様は宇宙を創造し、そこに人間という種をまいて、一人ひとりの命を花開かせます。今日は私たちが創造主となって、糀の花を咲かせましょう」とやすえどん。以下、やすえどんからのレポートです。


宇宙の響きを醸す こうじ( 糀 )づくり

真学校の生徒さんがこうじづくりを体験しました♪
まず、釜戸小屋にて4拍手👏👏👏👏
心と場を整えます。
始まりは火「ヒ」入れから。薪火の炎の美しいこと!パチパチと響く音も心地良く。さながらここは、異次元空間カマドカフェ⁉︎(笑)

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「カタカムナ」思念
ヒ: 静から動への出発点、ものの始まり

「糀とは高次元のこうじですね。」とは、めぐちゃんの弁。
「まさに‼︎」
眼には見えない糀菌(カビの一種)が培養することによって、蒸したお米に繁殖し、白い菌糸を出して綿状に広がり、美しい花を咲かせるのですから。これは、単に味噌の材料と言えるものではありません。

「カタカムナ」思念
コ: 転がりでる
ウ: 渦、生まれる
シ: 示されるもの
キ: 現象化、発生する
ン: 強める

高次元世界、潜象界より螺旋を描いて現象界に発生するもの。
宇宙物理学「カタカムナ」での紐解きが、講座の会話に花を咲かせてくれました。

by やすえどん

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こうじ菌はかびの一種で、生育の適温は34~37℃、湿度は80~90%です。繁殖条件が満たされますと、菌は発芽して白色の菌糸を出して綿状に広がります。繁殖が進むと酵素が生成され、菌糸内に生成されたものがこうじ全体に広がって浸透していきます。

以下、材料です。

米
米(精米したもの)
大麦または小麦(精麦したもの)ー 今回は小麦を使用しました
大麦または小麦(精麦したもの)ー 今回は小麦を使用しました

小麦は糀菌がつきやすいように、表面を少し削っています。お米と小麦の割合は1:1で、その0.1~0.2%ほどの種こうじを用意します。種こうじは専門店で作られ市販されています。これは、こうじ菌を純粋培養したものに木灰を混ぜて作ったもので、黄緑色でよく乾燥したものがよいです。

種こうじ
種こうじ

一般的に、味噌用の糀はお米だけを使うことが多いのですが、木の花ではいさどんの閃きで麦を使うようになりました。お米だけではなく自分たちで麦も育てていたので、まず材料があったということと、混ぜ合わせることで多様性が生まれ、味に深みが増すのです。

一晩水に浸した米と小麦を、米は蒸す30分前、小麦は1時間前にザルに上げて水を切り、カマドの火にかけ蒸しあげます。

蒸しあがった小麦 ー なんともいい匂い
蒸しあがった小麦 ー なんともいい匂い
小麦を割ってみて、白い芯が残っていなければOK
小麦を割ってみて、白い芯が残っていなければOK

蒸した小麦と米をムシロの上に広げ、菌が死なないように50℃まで冷まします。

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小麦と米が冷めたら、いよいよ種まき開始!糀の花を咲かせましょう♪

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種糀を手に持っていたら「何だかすごくビリビリする」とめぐちゃんとよしこちゃん ー 糀菌のエネルギーが伝わったのでしょう
お米と小麦の畑に種まき
お米と小麦の畑に種まき

種をまき終わったら、ひたすら混ぜ混ぜ。

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よく混ざったら、諸箱に移し糀室へ。保温庫にもろ箱を重ねて入れ、一番上に露防止のためのタオルを乗せて、庫内温度が28~32℃になるように保ちます。

いくつかの諸箱に分け入れ、それぞれを一塊にする
7つの諸箱に分け入れ、それぞれを一塊にする
お風呂場を改造した糀室 ー 壁が黒いのは「くら菌」です
お風呂場を改造した糀室 ー 壁が黒いのは「くら菌」です
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「くら菌」のようなやすえどんと一緒に♡

以後、約半日ごとに菌と対話しながらもみほぐす「手入れ」を行い、2日後に糀室から取り出す「出糀(でこうじ)」をして完成です。

材料が蒸しあがるまでの合間に、カマドカフェにて、1週間ほど前のフリープログラムで仕込んだ御神酒も試飲しました。

美しいピンク色の、黒米御神酒
美しいピンク色の、黒米御神酒
みんなでカンパーイ!!
みんなで「カンパーイ!」
用事があって一時帰宅中のオレンジくんの分も「カンパーイ♪」
用事があって一時帰宅中のオレンジくんの分も「カンパーイ♪」

御神酒は完成間近のいい感じで、「明日にはもう絞れるよ」とやすえどん。明日の午前中はフリープログラムなので、みちよちゃん講師による自力整体講座の後、またまたみんなで御神酒絞りをしにやってくることになりました。

この日の体験を、よしこちゃんは日記に以下のように綴っていました。いさどんのコメントともどもご紹介します。

 


よしこちゃんの日記

今日は糀づくりをしました。まるで神話の世界(=創世)を再現しているような気分になりました。
穀物(乾・種・男性原理)を水(湿・無形・女性性)に浸し、水を含んだ状態になった穀物に火(動・熱・男性原理)を入れ、変成させる(種をまくための土壌となる)。セイロから出した米&小麦はフカフカともり上がり、まるで雲(あるいは島)が湧き出すかのようでした。そこにうぐいす色の種菌を蒔き、上下をひっくり返しながらていねいに混ぜ込みます。
すると!なんてことでしょう!ご機嫌な微生物のマネをしたいさどんの姿がボン!と浮かび、本当に微生物がキャッキャッと言いながら笑っているかのように感じられ、つい私も一緒になって笑ってしまいました。

― いさどんのコメント ―
観えるべきものが観えてきましたね。

それを7つの島に分け 一昼夜と少し寝かすと 花が咲くのですね。
人間が花を咲かすにはずい分時間がかかりますが(笑)

― いさどんのコメント ―
固有のサイクルがあるのです。

微生物時間は限りなく「無い時間」に近いのでしょう。

日常の食を賄う過程に神事を見ることはこれまでありませんでした。日々の生活にそういうものをみいだせることはなんて豊かなことなのでしょう!

― いさどんのコメント ―
そうです。

でも本当は何をやっていても、瞬時瞬時にそれはそこにあり、それを感じるか/感じないか、みいだすか/みいださないか、だけなのかもしれません。
だとすれば、「豊かさ」は常にどこにでも、誰のもとにもあり、あとはその人が見いだすか/見いださないか、ということにすぎないのでしょうね。
潜象界がどこか別の世界にあるのではなく、遍満しているというのは、こういうことなのかもしれないな・・・と、ふと思いました。

― いさどんのコメント ―
かもしれないですか?それを真理というのですよ。

 

ニナが教えてくれたオランダ式バンザイ
ニナが教えてくれたオランダ式バンザイ
「フラーーー!!!」
「フラーーー!!!」

 

 


4日目午前「カタカムナ1」 ~ 認識できない世界をひも解く

6時間では到底理解できない奥深い世界、カタカムナ。以下、講座の内容をご紹介します。あくまでもダイジェストであることをどうぞご了承ください。(カタカムナを学ぶにあたっての心がまえについては、本講座の冒頭に語られたお話をご覧ください。)

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いさどん:
ここに、カタカムナに80首あるウタヒの中の第5首、第6首の解説があります。表の物理性の解説と同時に、裏の性についての解説が載っています。
かつてここでカタカムナ勉強会の講師をやっていた人は全国各地で勉強会を開催していたのですが、カタカムナの勉強会を始めた頃、カタカムナの真実はこの裏の部分に秘められている、ということで、勉強会でその奥義を説き始めたら、まず女性が来なくなったそうです。そしてそのうちに人が減っていきました。女性が先に来なくなったということは、女性がいかに性に対してネガティブなイメージを持っているかということを表しています。それをひも解いていくと、男性がいかに雑なセックスをしているかということです。そして女性は受け身ですから、その間違った性が浸透していったのです。
その講師の人は、それ以来勉強会でも性について触れなくなりました。しかし僕は、そこに踏み込んでこそ、カタカムナの神髄だと思っています。もっとも、そうすると人が来なくなるのかもしれませんが。

人は自分の色をつけてものごとを見ています。性に対する認識がこれだけ歪んでいるのは、それだけ世の中が汚れているということです。そう言うと、自分のことは置いておいて「そうだ、世の中が汚れているから私は大変なんだ」と被害者になる人がいるのですが、あなた自身が汚れているのですよ。だからまず、あなたがきれいになることです。

それでは、スライドを見ていきましょう。

01

「カタカムナの世界観を現代に生かす」というのは、とても深いことです。

現代の人々は大脳思考です。そしてヨコシマ(邪)と言って、その思考は邪ですから、損得勘定の二元的思考をしています。しかし人間は地上を生きる生命として、本来は縦思考で、直観に従い、生きるべき生き物なのです。それは自らの都合で思考を回すのではなく、生きる上で必要な生命観は自ずと湧き出してくるものです。
縦というのは、天に通ずる、この世界の仕組みの柱となるものです。それを「トキ軸」と言います。それに対して、そのトキ軸に沿って回転し、この世界に現象を生み出すはたらきを「トコロ軸」と言います。

人間は、DNAの中に宇宙の始まりから今までの成り立ちを、情報としてすべて持っています。しかし現代の人々は、脳の10%程度しか使っていないため、そういった内に秘められた情報を活用することはほとんどありません。では残りの脳のはたらきは何なのかというと、宇宙を生きるためのアンテナとしての情報です。天から降りてくる様々な情報をキャッチしたり、自らの中から湧き出してくるものをつかむのです。
今、25800年ぶりの銀河の冬至を越えて、これまでのヨコシマな損得勘定から、縦思考と横思考のバランスを取る時代に入りました。一般のカタカムナの勉強会ではこのような話は出ません。これは、地球暦やこれまでの人類の歩みをここで独自にひも解いていく中で、観えてきたことです。

「因果応報」というのは、今ここにあなたが存在していることの仕組みです。何かが発生したり存在するということは、必ずそこに至る原因があります。そしてその結果がまた次の原因となって新たな現象を引き起こし、延々とつながっていくのです。そして振り返った時に、その軌跡があなたの人生です。
原因に対して相応しい結果が現れる。それが因果応報です。原因、結果、原因、結果という連鎖を延々とくり返し、それをすべてつなげて観ると、そのひとつらなりの流れの奥に物語が観えてきます。そして、誰もが一人ひとり独自の物語を持っています。宇宙にも、誕生からずっと続いている物語があります。宇宙は誕生、維持、破壊、空、そしてまた誕生というサイクルをくり返していますから、その物語には終わりがないとも言えるでしょう。その物語が観えた時、因果応報の奥にある天の意志が観えてきます。
それを観るためには、自らに囚われているようでは観ることはできません。自らの視点からちょっと離れて、いったい自分はどういう歩みをしているのだろうかと客観的に捉えることが必要です。自らのクセというのはなかなか見えないものですが、ちょっと離れてみることでそれが観えてくるのです。

「一度止まる」と書いて、「正」という字になります。今自分がどのような歩みをしているのかを、いったん止まって、離れて観る。それが客観視点です。

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私たちは現象世界にいて、その奥にはすべての源である潜象界があります。そこまでの構造を理解すると、客観背後と言って、すべての現象の背後にあるこの世界の意志が観えてくるのです。それは意志を持っていますが、持っていないとも言えます。それは何も私たちに意志表示をしない、この世界が成立するための存在です。それを神と呼ぼうが法則と呼ぼうが物理性の元と呼ぼうが、何でもいいのですが、それが観えてくるのです。

02

人生は不可思議です。主観が強い人は、他の人も自分と同じように考えて生きていると思っています。では主観に囚われずに生きている人がどれだけいるかというと、ほとんどいません。誰もがオリジナルです。それを、さも普通であるかのような顔をしてごまかしていますが、「人格を学ぶ講座」ではその一人ひとりの独自性をひも解いていきます。

人間というのは、嘘つきです。僕はたくさんの人の人生相談を受けてきましたが、まずみんな、口から出てくる言葉と奥に持っている心が違います。ですから僕は、その奥の心を観ます。相手の言葉をそのまま受け取ったりはしません。それが客観です。
その時に僕を上手にだましたとしても、それは正確なアドバイスがもらえないということですから、その分損をしていることになります。一番は、とにかく正直になることです。「こんな恥ずかしい事は言えない」と思っても、僕は今まで1万件以上の相談を受けてきて恥ずかしい話なんて山ほど聞いていますから、全然珍しくないのです。
人間は嘘つきです。ペットは人間に近いから嘘をつくかもしれませんが、自然のものは絶対に嘘をつきません。人間が嘘をつくのは、それだけ高度の生き物だということでもあります。だから曲がりくねったでこぼこの道を歩んでいくのです。先日北朝鮮の金正男氏が暗殺されたというニュースがありましたが、報道されていることはどこまでが真実でしょうか。世界は嘘でできています。そこから真実を観抜く力を持つ。それには、自分の心を磨かなければ観えません。

でこぼこ道の奥に、この世界を存在させている大いなる意志があります。こんなにひどい世界を創って、いったいその意志は何をしようとしているのでしょうか。僕は不満に思い、それを神様に問いかけたことがあります。するとこんな答えが返ってきました。

「この世界を私の実体とみて、不満を言うならば、
その意志を見分けられるおまえになれ。」

おまえが不満を持って疑っている限り、真実は観えないだろう。周りがどうであろうとも、正直でありなさい。常に正しくものを観ることを心掛けなさい ──── そう伝えられました。

03

自分がもやもやとした雲を創っていては、見えてくるものももやもやでしかありません。そしてもやもやの人ほど、それを絶対だと思っています。そして何か新しいものに出会うと「これが真実だ」と飛びつき、また別の何かに出会えば「これこそ真実だ」というように、ころころ変わっていくのです。
それが人生だとも言えます。ですから、もやもやの中にいてもいいのですよ。それがもやもやだとわかっていればいいのです。しかし、もやもやだとわかっていない人は、そのもやもやにごまかされていきます。

04

正確に言うと、循環する前に振動し、自転し、公転し、歳差運動をして、そして循環しています。その身近にある代表例が地球です。そしてそれと相似形をなしているのが、我々の体です。細胞です。原子です。素粒子です。
カタカムナでは、素粒子よりさらに小さな存在である宇宙最極小微粒子を「カ」と呼びます。素粒子は観測できますが、カは観測することはできません。それはこの世界のすべての現象が発生する前の素材です。ですから、「ない」のです。「ない」ところに「ある」微粒子 ――― それが「カ」です。

めぐちゃん:
それはダークマターのことですか?

いさどん:
「カ」は、アマハヤミと言って、光の速さの10の64乗倍の速さで宇宙空間を飛び回り、そしてある時、現象を創りたいという想いが宇宙に湧いたとしますね。そうすると、その縁を元に「カ」はヒフミヨイと数理の道順に従い、「密かに」「震え出して二つになり」「満つって」「横に広がり」というプロセスを踏んで、「位置」が決まり、そこに「マ」という空間ができ、「ワ」という球体になります。「ワ」(=球体)ができるとは、その中に空間ができるということですが、ここには実は何もないのです。

宇宙はすべて、その空間のへりにできます。我々の銀河もそこにあります。するとこの空間は、とてつもなく広い、何もない世界です。それをダークマターと名付けてもいいですが、それが何であるのかは解明できていません。ホワイトホールやブラックホールという捉え方もありますが、それもまだ不確かなものであり、今わかっているのはここまで、としておいた方がいいでしょう。

ブラックホールがすべてを吸い込むとしたら、その行き先はどこなのか。ホワイトホールから噴き出してくるとしたら、それはどこから噴き出すのか。それをどう認識するのかと言ったら、我々が認識できない世界があるということです。それが、現象界、即ち「ある世界」の源である、潜象界、即ち「ない世界」です。

「ない」のですから、私たちには認識できません。ところが、その「ない世界」を理解しないと、この「ある世界」のことを本当に理解することはできないのです。ダークマターというのは認識しているということですが、本来はそれをダークマターとも言えません。認識できない世界にあるということです。

05

世界には様々なことが起きています。戦争があり、災害があり、病気があり、貧困があり、経済の破たんもあれば、トランプさんが出てきて何をするかわからないという状況もあります。これは、悪いことでしょうか?それを体験して「痛い」と思えば、嫌だと思うかもしれません。しかし、それを体験するということは、この世界の表現の可能性を知るということです。

この世界はすべて、陰と陽の対向発生によって成り立っています。そうすると、この世界を理解するためには、陰と陽の関係から離れて全体を観る必要があるのです。もしくは、こちら側にいるものは、向こう側に行き、こちら側を見ることによって初めて自らを知ることになるのです。
現代物理学は、現象世界を解析してきました。しかしどんなにこの現象世界だけを解析したとしても、現象世界が陰陽のどちらか一方であるとするならば、必ずそれを成立させるもう一方の存在があるはずであり、そこを理解した目でこちらの世界を観ることにより、初めてこの世界の構造がわかるのです。
人類が物理的にこの世界を理解するためには、今いる現象世界と対であるもう一方の世界へ行ってこちら側を見るか、もっと確かな情報を得るには、両方の世界を離れて全体を観ることです。ではそうするためには何に乗っていけばいいのでしょうか。今確認できている宇宙のスケールは数百億光年とも言われていますから、光の速さの乗り物に乗ったとしても宇宙から離れるには数百億年かかるということです。そんなことは物理的に不可能でしょう?ですから、現代物理学でこの世界をひも解くには限界があるのです。

そこで僕は、カタカムナが現代に復活したのだと思いました。その昔、カタカムナ人は、この「ある世界(現象界)」の奥に、それを成立させている「ない世界(潜象界)」があるということを、13000年前に理解していました。そして「ない世界」の働きが「ある世界」を表しているということを知っていました。この捉え方が現代物理学に反映されれば、物理はさらに発展することでしょう。そこから先は、人間の思考が大脳思考ではなく松果体思考、つまり直観思考になると、動き出します。
ところが今の多くの科学者はそういったことを認めませんから、そのままでは行き詰りますね。特に西洋科学を絶対視する人たちはそうです。脳の構造を変えなければこの先はありません。物理学とは何の関係もないこのような場所でそんなことが語られているのも、面白いですね。
物理学を始めとする近代科学は現代社会の発展に寄与しましたが、では人間の日常生活にどれだけの豊かさをもたらしたのかというと、今ではむしろ害をもたらしています。これは近代科学を否定しているのではなく、一方に偏ったものに、もう一方にあるものを合わせていくと、次の世界のステージが観えてくるということです。この世界を運営している存在は、一体全体何のためにこの世界を創ったのか、そしてそれを受けて人間はどうしたらよいのかということが、今ようやく語られ始めたということです。

06

これは月の満ち欠けです。それが地球の海の満ち引きをつくり、生命が発生しました。生命の起源は光だと言いますが、光だけでは駄目なのです。つまり、光(陽)に対して闇の働き(陰)が必要です。ちょうど良い距離に太陽があり、ちょうど良い距離に月が生まれ、双方の働きが陰陽となって地球に生命が誕生しました。

陰は女性性を現します。女性の生理は生きることの基本であり、それは月と連動しています。男性の生理は精子の生産ですが、これは毎日行われています。それは太陽のリズムです。肉体的には男性が陽であり、女性が陰です。それを善悪や損得のような二元論で捉えると、男は陽だから表にいて、女は陰だから陰にいて従う存在だというような封建的な捉え方にもなります。近年、世界中がそうでしたね。
しかし、それは違うのですよ。本当は、この「ある世界」と「ない世界」の関係も、すべては陰が元になっているのです。生命もすべて女性から始まっています。ですから、「霊主体従」という言葉が表すように、陰が主であり、陽が従なのです。
長い間、権力やお金、物理的な優秀さなど、そういった陽的なものが主となり、心を従とする時代が続いてきました。今、時代はその切り替え時を迎えています。文明的にも、これまで世界をリードしてきた、物事を細分化して科学的に捉える西洋型文明から、世界を統合的に捉えその奥を観る東洋型文明に切り替わる時が来ています。例えば病気になれば、西洋文明ではその症状を物理的に治すことに専念しますが、東洋文明ではその病気の要因となる奥の気や心を観るのです。

あるものが現れて栄えていくと、それは月の満ち欠けと同じように必ず頂点を迎え、やがて欠けていきます。その時に、それと対向発生し、潜んで奥で支えていたもう一方の存在が、入れ替わりに現れてくるのです。

それでは、カタカムナの世界を具体的に観てきましょう。

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いさどん:
この図は、この世界の仕組みを二元に落とし込んで表現したものです。とてもわかりやすいですが、実際はこの世界は二元ではありません。

みかこ:
この図では左側が潜象界で右側が現象界というように分かれていますが、実際はこんな風に単純に区切られているわけではなく、潜象界はこの世界に重なってあるものです。

いさどん:
僕はある時、この現象世界の空間にふっと切れ目が入って、そこからふわーっと何かが出てくるのを感じました。何とは言えませんが、何かが来る。そして、それが「カ」なのだと思いました。これが供給されることによってこの世界が創られ続けているのだということを感じたのです。
なぜそれが観えるようになったのかというと、この世界の物理性を理解してきたからです。「カ」は宇宙最小の微粒子であり、すべての現象の元となるものです。そういった仕組みを人間は、宇宙の発生、維持、破壊、消滅までの仕組みを理解すると、意識的にその原動力である「カ」を潜象界から引き出すことができるようになります。人工によって汚染されていない純粋なエネルギーを引き出すことで、この世界に「イヤシロチ」(汚れのない生命力にあふれた場)を創り出し、美しくしていくことができる。そこまでの域に人間は達することができるのだと気付いたのです。
逆に、この仕組みを理解していないと人工の世界の中だけでぐるぐると意識を回し、人工的な歪みを増幅させてどんどんこの世界を汚していく(ケガレチ)ことになります。潜象界はこの世界のあらゆるところに重なって存在していますから、人間がその意識になれば、どこからでも「カ」は供給されるのです。例えば畑に行って「人間の欲で汚れているな」と感じたら、欲のない美しい心で作物に語りかけます。するとその空間から新しい純粋なエネルギーが作物や土に供給されて、美しく濁りのない作物が育つのです。

この図を見てください。私たちが通常認識している世界は、現象界=カタの世界です。「カ」は宇宙最極小微粒子であり、それが「タ」即ち分離独立したものが「カタ」であり、それが持続する(=チ)と「カタチ」となります。カタの世界は「見える世界」です。
その奥に、「見えない世界」があります。例えば心は見えませんね。見えませんが、カタチである顔の表情を見ていると、その奥にある心が観えてくるでしょう。ところが人間はそれを隠しますね。カタチで隠すのです。その隠れて見えないものが、この図にある「思い」「幽」「心」「言霊」といったものです。この見えないものが見えるものと重なり合って、人間が形成されます。人間だけでなく、あらゆるものがその仕組みで成り立っています。そしてすべての存在は、固有のサイクルを持っており、人間なら80年、ネズミなら数ヵ月、星なら数百億年というように、それぞれのサイクルがあって生命が維持されています。それがカタの世界です。宗教で言う霊とは、一般的にこのカタの世界の中の「見えない世界」の存在を言います。そして「見える世界」と「見えない世界」を、因果がぐるぐると回っているのです。

この現象界に対し、対向発生をしている潜象界の存在をひも解いているのがカタカムナ宇宙物理学です。その潜象界には何があるのかというと、すべての音のふるさとの響きです。響きはすべての源です。宇宙空間も実は響きなのです。
潜象界では、48の音は単独で存在しています。それが現象界へやってくると、縁が発生して他の音とつながり、意味を成すようになります。潜象界では「ア」と「イ」というように単独で存在していたものが、現象界へやってくると、それが縁により結ばれ「アイ」になるのです。
潜象界は、濁りや歪みのない世界です。それは極めて美しい状態です。ですからそれを理解するためには自らを無垢の状態にしなければなりません。先入観があっては、それをわかることはできないのです。

潜象界から現象界へ生まれ出てくると、様々な形状を持つようになります。それが自然の命の多様性です。そしてそこには「差」があります。形状の差、役割の差。そしてそれがネットワークしていくのです。
潜象界には差はありません。ネットワークもありません。それが現象界へやってくると歪みが発生して差が生まれ、ネットワークする。それが命の世界です。その歪みとは美しい歪みであり、そこでは一つひとつの差は個性なのです。
ところがそこから人工の世界へ進むと、カルマや人間の思惑による人工の歪みが発生します。それによって今、自然が汚染されているのです。それに対して、人々がどう解決しようとしているのかと言うと「自然保護」だと言うのですが、それは違います。人間の心が汚れているから、自然も汚染されているのです。

それを美しくするには、現象界の奥にある潜象界までを含めたこの世界の構造を理解し、人間が自主的に自分自身を美しくすることです。そうすると、人工で汚染されたものは潜象界へと還り、そこからまた新しい新鮮なエネルギーが供給されるという循環が生まれ、自然は自ずと美しくなっていきます。
「自然保護」というのは傲慢な言葉です。自分たちが汚染の根源であるのに、自然を「保護」しようと言うのですから。そんなことを言う前に、自らの心を改めることです。

まずは、あなたから。あなたがきれいになると、それが世界に広がって、必ず世界は美しくなるでしょう。

 

 


4日目午前「カタカムナ1」導入 ~ もっとも“わからない”講座

第4日目は、この世界をひも解く神髄とも言えるカタカムナの講座です。まずは冒頭のいさどんのお話から ──── 。

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いさどん:
今日は、カタカムナの世界観を学びます。ただし、これはカタカムナ宇宙観の入り口です。

13000年前の宇宙物理文明

カタカムナの世界は、とても深いものです。真学校では2コマ6時間をカタカムナに充てていますが、それだけでマスターすることはできません。6時間で学べることはほんの概要であり、深い世界を粗く見て「ああ、そういう感じなのか」ということをつかむためのものです。
真学校の初日に、皆さんにわからないことを伝えていきます、とお話ししました。それをわからないからと言って切り捨ててしまうと、新たな世界観を認識することはできません。このカタカムナの講座が、まさしくそれです。なるべく皆さんが理解できるようには進めていきますが、それで皆さんが本当にその神髄をつかめるかどうかはわかりません。

実は、今カタカムナの世界観をマスターしている人はこの世界にいないだろうと思います。
カタカムナは、およそ13000年前に東アジアに栄えていた宇宙物理文明であり、とても深い世界観を持っていましたが、やがて時代が進んで物質的文明が台頭してくるに従って衰退し、長い間封印されていました。そして1949年、楢崎皐月という明治生まれの物理学者が、兵庫県の六甲山系の金鳥山というところにあるカタカムナ神 ──── 正式には保久良神社というそうですが ──── そこで平十字という老人と出会い、神社の御神体として伝えられているという記号のようなもので書かれた巻物を見せられ、それをひも解き始めたことから、再び世に現れ出したのです。それは第二次世界大戦が終わってから4年後のことです。
楢崎皐月という方はとても優秀で集中力のある方だったのでしょう。それから5年間をかけて、巻物に書かれていた文字を解析し、48音の意味をひも解いていきました。この文字が、カタカムナの「八鏡文字」です。そして、カタカムナをひも解けばひも解くほど、彼一人の力ではそれを解析できないということがわかってきました。そして後に、宇野多美恵さんという女性と、その妹に出会います。そして3人で力を合わせてカタカムナ文献をひも解いていったのです。

これが八鏡文字です。

カタカムナ第5首・第6首
カタカムナ第5首・第6首

この文字が、カタカナの元になっていると言われています。
「マワリテメクル」というのは、地球の自転と公転のような物理性を表しています。そしてもうひとつ、この世界は「対向発生」と言って、陰と陽のように相反する二つのものが同時に存在することによって成り立っていることも表しています。
カタカムナには、この48音を組み合わせた80首の「ウタヒ」があり、一説によると120種以上あるとも言われています。それはこの世界の命の仕組みを表したものです。48音の一つひとつにそれぞれの意味があり、それをつなげることによって命の仕組みである物理性を表しているのですが、それをひも解いていくのはとても難解なことです。最初に発見された文献には、この図のようにフリガナが打ってあったわけではありません。それをひも解いたのですから、楢崎さんという方は素晴らしい頭脳と創造力の持ち主だったのでしょう。
80首のウタヒをひも解いていくと、「表」のカタカムナの解説があり、表を陽とするならばそれと対になる陰、即ち「裏」の解説があります。表は宇宙の物理性を説いています。裏は、性についての解説です。男女が交わることの意味や、それによって何が得られるのかということが示されています。

最も小さなコミュニティ、男女の出会い

人は生きていく上で、群れて社会を創ります。その時にできる最も小さな単位のコミュニティとは、男女の出会いです。それが対向発生です。1+1は通常2ですが、男女が出会えば子どもが生まれて3になります。それが家族というコミュニティの始まりです。家族というコミュニティが集まって一族ができ、そして村ができ、町ができ、社会ができていくわけですから、家族というコミュニティが健全であることが世の中の健全につながります。
昔から、多くの人が理想郷を築くことを目指してきました。しかしほとんどの場合、実際に理想のコミュニティを目指し、立ち上げても、長続きはしませんでした。歴史の中でユートピア運動というのは世界中にあり、日本でも多くのコミュニティが立ち上げられてきましたが、今も存在しているところがどれだけあるでしょうか。密度高く安定している場としては、木の花は代表的な事例です。
多くのコミュニティが長く続かない原因は、お金と性の問題です。これをクリアすると、コミュニティは安定します。性の話というのは多くの人にとって秘め事であり、みんな表に出そうとはしません。しかし、「性」とは「聖」と同じなのですよ。

「セイ」をカタカムナの単音でひも解くと、「セ」とは「せまい」とか「エネルギーが集中している」ことを表します。「イ」とは「位置」であり、「ヒフミヨイ」の「イ」ですから、これから現象化する用意が整ったことを表しています。つまり、「セイ」とは狭い位置に密度が集中しているということですから、「性」であれば女性器に男性器が結合していることを表しています。「聖」ならば道を究めていって高く狭い位置に到達し、そこで安定している状態を表しています。下の方の世界では価値観が様々にあってバラバラの状態ですが、そこから極めていって確固たる高次の精神の位置に到達したということです。「清」も「セイ」と読みますね。いろいろと汚れている世の中で、余分なものをそぎ落とし、美しく清らかな状態になったということです。

カタカムナの80首とも120首とも云われるウタヒをひも解いていくと、その7割から8割は、性についての本義が示されています。表は宇宙の物理性の解説ですが、裏には、性から紐解かれる命の解説が明快に示されています。聖なる男女が交わることによってどのような境地に至るかということが綴られているのです。
それは、現代のアダルト産業が描くような性の世界とは、まったく違った世界です。しかし現代の多くの人々は、そのような聖なる描写に出会っても誤解をします。なぜ誤解するのかというと、その人自身が、性に対して誤解をするようなレベルの認識しか持っていないからです。

「怪しい」は自分の中にある

僕がいかに真剣に、熱意を持って、その人のために、世の中のために真実を語ったとしても、人はどこかに自分の常識というものを持っており、そこから外れたことを聞くと「それは怪しい」と判断します。では何が怪しいのかというと、その人自身の中に怪しいものの基準があるのです。

本来、性とは聖なるものであり、神聖なものですよ、その聖なる精神性に則って交わることは、それにふさわしい神聖な魂を天から降ろし、優れた精神の人が世に現れ、世の中を良くしていくのですよ、と語ると、「その通りだ」と思う人もいれば、自らの性に対するイメージを重ねて「あんなことを言うなんて怪しい」と思う人もいます。現代の一般的な性の認識しか持っていない人は、性と聞くとすべて自分の中のイメージにつなげて、それは欲情をそそるものでよこしまなものだと決めつけます。女性の場合、性の出会いが不幸で嫌悪感を持っている人も少なくありません。みんな自分の中のイメージで「性とはこういうものだ」と決めつけているのです。

僕の話を聞いて「怪しい」と言う人は、実際にそのものを認識しているわけではありません。それ自体を客観的に捉えるのではなく、自分の中にある認識をそこに投影して見て、想像しているのです。
人間は恐ろしいことに、ものごとの真実を確認せずに、自らの中にあるイメージを重ねて事実とは違う幻想を創り上げ、それを独り歩きさせていきます。それは間違いを独り歩きさせているようなものです。その結果、真実と間違いのギャップが生じ、そのギャップを生きることになります。それは人生に間違いの種を播き続けることになりますから、必ず未来に間違いの芽が出ます。
その時に、本人には自分が間違いの種を播いてきたのだという認識がありません。ですから間違いの芽を見て、いったい誰がこれを播いたのだろう、なぜ私がこんなものに出会わなければいけないのだろう、と思うのです。すべて人のせいになるのです。そうすると、その人の人生にはさらに間違いが起きるようになります。

理解を超えるものを受け取る

昨日、「世界観を広げよう」という講座をやりました。その中に、心を磨くことの大切さが出てきます。なぜ世界観を広げることが必要なのかというと、視野が狭いと自分がどこにいるのかが観えないからです。広い視野の中で様々な認識に触れると、その中で自らがどのような位置にいるのかがわかり、自分の思考がどのようなものであるのかを客観的に捉えることができます。
ところが、狭い枠の中で自分の見える範囲のものだけを見て生きていると、それが世界の全てだと思うようになります。中には、自分の今の状態は他者や世の中のせいだと言って被害妄想になっている人もいます。そのように自らの視点だけで生きていては、世の中に間違いの認識を広めていくようなものです。だから世界観を広げることが必要なのです。

その時に、自分の理解できることだけを受け取っているようでは、世界観は広がりません。多くの人は狭い枠の中にいて、自分の理解できないことは間違いだとしています。しかし、カタカムナを生きるということは、今の世の中の人々が認識していない、新たな道を歩み出すということなのです。
僕は昔、この道に出会った時に、最初は自分が精神分裂病になったのかと思いました。自分の中に言葉が降りてくるのです。そういうことが、人間にはある。どうやら自分は、そういう人になってしまったようだ。そう思いました。

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しかしこれは実際に怪しい話です。一歩間違えば魑魅魍魎(ちみもうりょう)の不確かな世界にも通じるからです。よくテレビにも霊能力者と言われるような人々が出てきますが、そういった世界にも通じるもので、人々を惑わせることにもなる危険なものなのです。ですから僕自身も、そのような状態の自らを疑いながら歩んできました。しかし、疑いながらも、そうなってしまったものはなってしまったのですから、仕方がありません。「これはどういうことなのだろう」と歩みを止めることなくそれに付き合ってきました。そうして、ここまで歩んできたのです。

真実はひとつ

自分が出会ったものは何なのかということを突き詰めていくと、その人の精神構造のレベルの位置に到達します。皆さんも、いろんな本などを通してスピリチュアルな世界に出会っていると思いますが、それを教科書のように崇めていては、それを発信している人の精神レベルを超えることはできません。何かを経典とした時点で、その先の道は閉ざされるのです。

しかし、この世界は広大なものであり、情報は無限にあります。自分自身を空っぽにして、自身の中に定着したものだけが、得たものです。そして世界は無限ですから、探求は永遠に続きます。
これは、真学校を1ヶ月間どのように過ごすのかという姿勢の話です。あなたの中に新しい情報をどれだけ入れるのか。そしてそれをどれだけこなせるか。有害なものはひとつもありません。しかしそこで自分の中に入れるものを自分で選別するようでは、大事なものがすっぽりと抜けた骨抜きの情報の寄せ集めになるかもしれません。1ヶ月後にどれだけのものをあなたが得ているのかは、皆さん自身にかかっているのです。
そして、その得たものを元にそれから先の人生を生きていくことになります。それをくり返しながら人生が完成されていくのです。新たに得る情報というのは、自分が知らないものですね。ですから、わからないことでもまず取り入れてみることです。その全てをマスターすることはできなくても、まずは取り入れてみて、そして残るものを自分のものとしていけばいいのです。

その時に、これを取り入れたらいいことがあるのだと御利益を求めるようなことでは、何かのセミナーを受けて良い人生になりますようにと願うのと同じで、まやかしです。何を持って良い人生とするかは、人によって違います。今僕は、生きるということ、そしてその中で出来事に出会う時の基本の姿勢についてお話ししていますが、それは一人ひとりみんな違います。皆さんはこれまで、一人ひとり違う人生を歩んできました。これからも違うことでしょう。そこで最も気を付けなければいけないのは、自分は先入観を持っていて、その色眼鏡でものごとを見てはいないかということです。
もしもそうであるなら、あなたはあなたの色を付けてものごとを見ていることになり、真実を自分の中に取り込むことはできません。逆に言うと、その先入観で彩られた認識が、あなたにとっての真実になります。ですから、真実は人の数だけあることになります。しかし先入観を外してその情報に出会えるならば、今あなたが必要とする情報があなたにもっともふさわしい形であなたの内に残ることでしょう。そして内に残ったものこそが、誰にとっても共通するこの世界の真実なのです。

カタカムナを生きる

カタカムナの世界観を学ぶにあたり、まずは冒頭のお話をしました。これから3時間の講座が始まりますが、人によってはさっぱりわからない時間を過ごすことになります。最初は頭が痛くなることもあるでしょう。それでも付き合っていくと、何かが感じられるようになるかもしれません。それが大事なのです。
現代人は前頭葉で思考を回し、いわゆる大脳思考でものごとを解釈しますが、カタカムナ人は脳の中心にある松果体という部分を震わせて、この世界の真実を直観で受け取っていたと言われています。その時に、思考は回しません。会話も、今のように文章にするのではなく、単音に近い形でやり取りをしていました。そして群れて、直観のセンサーを働かせながら、生き残ってきたのです。ですから、生命観がとても強い。豊かに生きるにはどうしたらいいかなどと、大学の講義のように考えることはなかったのです。
これから八鏡文字について学んでいきますが、これは楢崎皐月さんが解析したもので、カタカムナ人は誰もこんな講義を受けて学んだりはしていませんでした。現代人はそれを教科書にして勉強会を開催したりしていますが、それでは結局、現代人の思考回路で知識的に学んでいるに過ぎません。

みかこ:
この文字の成立自体が、カタカムナ文明が栄えていた13000年前からずっと後の約8000年前だろうと言われています。後の世の人々が体系化したんですね。

いさどん:
木の花ファミリーでも、カタカムナに出会ってから2年間は毎月勉強会を開催していましたが、僕はある時、もうこれ以上は必要ないと思いました。間違いの方向に進み出したと思ったからです。カタカムナ人は勉強をするのではなく、毎日の生活の中でそれを表現していました。いくら知識としての勉強を重ねても、人間性を高め、その知識が人生に反映されることにはならないのです。
僕がその2年間で気付いたことは、「カタカムナを学ぶ」のではなく「カタカムナを生きる」ということでした。そしてカタカムナを探求すればするほど、私たちが今までコミュニティとして目指し表してきたここの生活が、カタカムナを表現しているのだと思いました。ですから私たちは勉強会を開催するのではなく、それを生きて、そして生活の中で表現することでもっとわかりやすく皆さんに伝えていくことができると思ったのです。カタカムナは宗教のように御利益を求めるものでも、学問のように知識として学ぶものでもなく、実際にそれを生きることで、自らの人間性に反映させていくものなのです。

それは理想論ですか?

いさどん:
人間は、まず自分自身の個性という認識の色がついています。そしてその色を通してものごとを解釈しています。そこでちょっと自分の外に出てみましょう。そして自分はどんな色を持っているのか、どんな心のクセを持っているのかを客観的に見てみましょう。そうでなければ、いつまでも自分の色やクセを通して世界を見ることになります。

としみちゃん:
聞いていて、胸に突き刺さります。さっき、男女が聖なる交わりをすることで素晴らしい子どもが生まれると言いましたよね。私は小さなころから性に対して嫌悪感があるんですけど・・・

いさどん:
今、「小さなころから」と言いましたけど、それはいつのことですか?小さな子どもの時から性的なことに関わってきたということですか?

としみちゃん:
小さいと言っても中学生くらいの時です。

いさどん:
それは正確に言わなければいけませんよ。「小さな」というと2、3歳の子どものようですが、中学生となれば、多くは自身の体験が元となってイメージを持つようになっています。中には何も体験していないのにネガティブなイメージを持つ人もいますが、それはもともと自らの中にネガティブな種があるということです。それがその人の色ですね。

としみちゃん:
その、聖なる行為で素晴らしい子どもが生まれてくるというのが、そうなったらいいなとは思うけれど、きれいごとというか、理想論に聞こえてしまうんですけど・・・

いさどん:
その「理想論に聞こえる」というのは、あなたの考えではないですか?そのあなたの考えで、「これは理想論なのだ」と断定しますか?あなたは今までも、そうやって自分の考えでものごとを断定しながら生きてきましたね。
「素晴らしい人」というのはどこから生まれてくるのでしょう。お釈迦様もキリストも、性の営みから生まれてきたのですよ。
人は自然を見て、美しいと言いますね。その自然も、性の営みによって生まれています。植物にも雄しべと雌しべがあり、それが交わることによって次の世代につながるのです。それはきれいごとでしょうか。

としみちゃん:
うーん・・・人はそういう考えでは行為をしていないんじゃないかなって思うんです。それは自分の考えですけど。

いさどん:
実際そうですよ。では、みんなに聞いてみましょう。交わることを神聖な行為として受け止めている人はいますか?
(2名が手を挙げる。)
では、実際に自分はそれを神聖なものとして行っている、という人はいますか?
(誰も手を上げない。)

「世界観を広げよう」の講座で、この世界は間違いから生まれているということを伝えましたね。そして、今の時代は混乱のピークにあることをお話ししました。その混乱の一番の原因は、性の間違いから来ています。性の間違いが正されると、この世界はすべてが美しくなります。
カタカムナは、表では宇宙物理を説いています。表は陽の世界です。しかしその元は、陽を支える陰の世界にあります。陰とは、霊です。見えない世界です。その見えない世界が先にあり、それが元となり、この世界が表現されているのです。「健全なる肉体に健全なる精神が宿る」と言いますが、真実は「健全なる精神に健全なる肉体が宿る」のです。
性の話も同じです。健全なるセックスに、健全なる子が宿ります。それでもあなたは疑いますか?

としみちゃん:
言葉ではわかるんですけど、心の中は「う~ん」という感じです。

正直に自分の想いを出すことで皆に学びを提供しているとしみちゃん
正直に自分の想いを出すことで皆に学びを提供しているとしみちゃん

いさどん:
あなたのその状態に付き合っていると時間はかかるし、面倒ですね。結局は、あなたがあなたの色をどうするかです。1ヶ月間どんなに勉強したとしても、自分の中の固定概念をとらない限り、あなたはいつまでも同じ位置にいることになります。そこを超えて、自らをフリーにして受け取ろうという姿勢になった時に、あなたは新たな世界を生きることになるのです。そこでいつまでも「う~ん」と疑っていると、相変わらず同じ人生を生きることになります。その決断をどうするのかは僕の範疇ではありません。それはあなたの意志の範疇であり、皆さん一人ひとりの意志の範疇です。

地球は円ではなく、球

いさどん:
自分の中に「これが絶対だ」というものを持っている人は進歩しません。宇宙は常に瞬間瞬間変化変容をくり返しながら、常に先へ先へと、未知なる未来へ進み続けているのですよ。

みかこ:
カタカムナはこの世界の成り立ちを表すもので、それはとてつもなく広いものです。例えば地球をいろんな側面から立体的に見たら球だけど、一カ所だけから見たら円に見えるよね。その時に、いくら地球は球なんですよと説明をしても、「私からは円にしか見えないからそれはおかしい」というようでは、そこで話は終わってしまう。そこで地球が円にしか見えないのは、自分の立ち位置が固定されていて、そこからしか見ていないからなんだよ。

いさどん:
地球は球ですが、それを紙という二次元の上で表せば円になります。現代の私たちの思考は、二元的発想に囚われています。八鏡文字は宇宙の成り立ちを二元で表していますが、これは実際は、球なんです。

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このボールは、ここで作ったものです。これは宇宙の成り立ちの仕組みを立体で表していますが、これを二元で表現すると八鏡文字のような図になります。それが間違いの始まりです。立体のものを二元に置き換えて、伝わるわけがないのです。
もっとも、このボールも単なる球体の模型です。最終的には、「この世界はこうなっているんだ」ということを自分自身の中で描ける人にならなければ、いくら僕が語ったところで「でも私から見ると円だ」と言い続けることになるのです。
それでは進化しません。宇宙を生きるとは、常に無の状態で新たな認識へと自らをいざなっていくことです。少しでもカタカムナが理解できると、それを糸口として、だんだんその意味がわかってきます。

めぐちゃん:
昨日、カタカムナの講座を受けるにあたり、自分自身の認識について考えていました。さっき、現代人は大脳思考という話がありましたけど、大脳思考の人間が発している言葉というのは音の一音一音が粒子的で、いろんな種類の粒子の組み合わせでひとつの意味を持っている。でもこの宇宙の物質には粒子性と波動性の両方があり、カタカムナ的解釈のできる人々は、粒子性と同時に波動性を認識する能力を持っている。この世界にはいろんな波動の発生源があって、その波が互いに相互作用して波模様として表現されているけれど、そういった波動的なものが現代人にはなかなか認識できないんじゃないかと思うんです。でも木の花ファミリーでは各メンバーの人たちがそれぞれ個性的な波動の発生源になっていて、そこから発される波模様が干渉しあって調和的な波紋をつくり、発生源の位置や強さによって波模様が常に変化している。昔、直観を主体として生きていたカタカムナの人々は、そういった感覚を持っていたのかな、と思いました。

元光学エンジニアならではの見地から解析をするめぐちゃん
物理畑出身ならではの見地から解析をするめぐちゃん

いさどん:
そうです。今めぐちゃんが話したことというのは、日常話される会話からするとちんぷんかんぷんでしょう?通常、今のような会話は生活の中ではあまり語られない話です。彼女は物理学を勉強してきたから、その切り口から話をしていました。それが人それぞれのこの世界を測る尺度なんです。
僕はカタカムナを学んできたから彼女の言うことはわかりますが、物理学を学ばずにカタカムナに出会った人は、そのような切り口から解釈することはできません。同時に、物理学の切り口からカタカムナを見るとある段階までは理解できますが、その切り口からだけでは限界があるのです。ですからそこに囚われると、その解釈では行き詰まることとなります。
めぐちゃんは物理学の切り口から世界の成り立ちを解析し、成り立ちの関係性を解析し、それが人と人との関係の中にもあるのだということを語りましたね。

めぐちゃん:
私も大脳的思考じゃなく、松果体的思考の大切さを感じています。

いさどん:
だからあなたはここに出会い、共鳴したのでしょう。生きるとはそういったことの連続です。僕は初めてカタカムナに出会った時に、これは今まで我々が生きてきた生き方を物理的に立証するものだということを直観で感じました。
直観の大切さを、我々はカタカムナから学んだわけではありません。もともとここにあった生き方の中でそのことを理解してきて、そしてカタカムナに出会い、同じことを言っているね、となっただけなのです。それは何かを学んで解釈したものをやってきた結果ではなく、まったく無色の状態で未知の道を歩んできた結果出会い、今の状態に至ったのです。そういった人の解釈を超えたところでの出会いは、とても大事なものです。
これを切り口として新たな時代の可能性は広がっていきますから、これが絶対だというわけではありません。今はまだ2000年代が始まったばかりで、3000年に向かってこれから1000年をかけてこの流れが仕上がっていくのですから、今はまだ始まったばかりです。

さて、それでは休憩に入りましょう。その前に何か質問はありますか?あっこちゃんはどう?

あっこちゃん:
まだよくわからないです。

いさどん:
大丈夫だよ。ずっとわからないから。(みんな:笑)。

あっこちゃん:
具体的にはならないんですか?

いさどん:
具体的になりますよ。ただ、なるまで我慢できるかどうかです(笑)。

あっこちゃん:
じゃあ我慢します。(みんな:笑)

我慢して聞き続けてみよう
我慢して聞き続けてみよう

いさどん:
今日の6時間で理解できるかどうかは、皆さん次第です。これまで積み重ねてきた心のクセが多ければ多いほど、難しいかもしれません。

 

 


2日目午後「世界観を広げよう」~固くなったものをやわらかく

午前中の『木の花ファミリー総合プレゼンテーション』に続いて、午後の講座は『世界観を広げよう』。
「わからないことを提供していきます」という初日の挨拶の通り、固定概念の枠を超える情報の洪水に「頭が噴火しそう」と受講生のとしみちゃん。

休憩時間に倒れこむけーごくん
休憩時間に倒れこむけーごくん

それでもけーごくん曰く、「今まで何度かここで世界観のプレゼンを聞いてきたけど、今日が一番深く理解できた」。
それぞれに「何か」を探し求めてやってきた受講生たちの間から次々と質問が飛び出し、講座はとても活気のある場になっています。「脱線の中に真実あり」。そう、質問によって新たなものが引き出され、どんどん脱線して話の幅がぐんと広がることで、思いがけず宇宙の真理に出会ったりするのです。

子どもの時に星空のあまりの美しさに魅せられ、ずっと宇宙のことをもっと知りたいと思ってきためぐちゃん
子どもの時に星空のあまりの美しさに魅せられ、宇宙物理学の道へ進みながら自分が本当に知りたいことは何なのかを探し求めてきためぐちゃん
みんな熱心にメモをとっています
熱心にメモをとり続けます

講座の冒頭、いさどんはこう語りました。
「今、地球は狭くなりました。19世紀までは地球を1周するのは大変なことでしたが、今は無給油で地球を1周する乗り物もできました。それだけ世界を認識できるようになったということですが、逆に、人間の個々の価値観は狭くなりました。そこで広い意識を持ち、世界観を広げることによって、固くなったものをやわらかくしていきます。」

やわらかいいさどん
やわらかいいさどん

それでは、頭の中を白紙にしてお付き合いください。

02

いさどんは語ります。
「時代は、生きものです。その中で私たちは、『時の旅人』です。これはどんなに拒否しても、乗車拒否することはできません。死ぬとできるだろうかというと、死んでもできません。我々が存在している限り、この『時』という乗り物に乗っているということです。
私たちは肉体という器を持ち、そこに縁ある魂が乗って、人生という旅をしています。そこで同時に、時という乗り物にも乗っています。一定の時間を過ごし、寿命が来ればみんな死にますね。私たちが死んだ後も、時代は動き続けています。ですからもしも生まれ変わるとしたら、それだけ時代が進んだ先に生まれるのです。そのように人間は、生まれては死ぬことをくり返しています。これを輪廻と言います。人間が生きている時も、死んでいる時も、時は同じように進んでいます。」

「私たちが生きている時、肉体は変化します。それは手に触れ、つかむこともできます。しかし魂は、つかむことはできません。魂は死ぬこともありません。たとえば、(受講生の)よしこちゃんがよしこちゃんであり続けるのは、『よしこ』というプログラムになっているからです。そのプログラムが変わると、もしかすると『わるこ』ちゃんになるかもしれません(笑)。前の人生では別のプログラムを持っていて、その結果として、今世のよしこちゃんがあるのです。そしてこの先、さらによしこちゃんになるのか、或いはわるこちゃんになるのかは、今の生き方にかかっています。」

はたしてさらによしこになるのか、わるこになるのか?
はたしてさらによしこになるのか、わるこになるのか!?

「現象世界には、永遠はありません。しかし、現象の奥にあるものというのは物質ではありませんから、そのプログラムが成立している限り、物語として続いていきます。
今は西暦2017年ですが、僕はよく、3000年までのプログラムが始まったと言います。『西暦3000年なんて私は生きていないから関係ないわ』と思うでしょう?でも実は、そのスケールのサイクルでものごとを捉えている人には、関係があるのです。よく、人々がわかりやすいように『皆さんの子孫のために』と言いますが、それは実は自分自身のためなんですよ。今あなたがその魂で成立しているということは、過去にその魂で生まれてくるような生き方をした結果であり、ひとつの物語としてずっとつながっているのです。」

今現在も、私たちは地球に乗って秒速30kmというスピードで宇宙空間を移動し続けています。自転しながら、公転しながら、歳差運動しながら、微振動しながら移動し続ける地球の動きをいさどんは地球儀ボールを使って解説。こんなに複雑な動きをしながら地球は宇宙を移動し続けており、その動きによって地球上に1日や四季がもたらされ、その中で私たちは生きているのです。

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ここからさらに、話はどんどん深まっていきます。
星の動きと人類の歴史や個人の人生がいかに連動しているかということ、時代と共に北極星は移り変わっており、今絶対と思っているものも変化していくということ、私たちはそもそも「間違い」から生まれているということ、欠けているからこそ存在しているのであり、存在するためには欠けていなければいけないということ、欠けていることを認識するために生きていて、それを認識できるだけの特別な能力を人間は与えられているということ、紙の発明以来人間は平面でものごとを捉えるようになり、良いか悪いか、損か得かという二元思考が生まれたこと、人間の思考が鈍くなったのは余分なことを考えるようになったからであり、その余分を取り除けば自分の中から宇宙の真理が無限に湧き出してくるようになること ──── 等々。
とてもここには書ききれません(*_*)以下、スライドをご紹介しますので、どうぞご覧ください。さらに深く学びたい方は、ぜひ来年の真学校へお越しください♪

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受講生との活発なやり取りで話はどんどんふくらみ、講座時間内に終わり切らなかったため、続きは夜の大人ミーティングに突入。

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大人ミーティングで講座の続きをスタート

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・・・大人ミーティングでも終わりませんでした。

今後は情報量を調整します、と反省を語るいさどんとみかちゃん
今後は情報量を調整します、と反省を語るいさどんとみかちゃん

一コマの講座でこれだけの情報量を消化するのは、そもそもムリ。が、しかし、どれも重要な内容であることには変わりありません。
そこで!スケジュールを変更し、明後日の午後に続きをやることになりました。ここまでは、過去の人類の歩みや現代社会の実態などを見てきましたが、ここからは、その現代を私たちはどう生きていくのか、という内容に入ります。

今、社会の現状を分析して何が問題なのかを語る人は多くいますが、ではそこから実際にどう生きていくのかという代替案に出会うことはなかなかありません。けれども、大切なのはそこからなのです。

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それでは、どうぞ明後日の講座をお楽しみに!

物語は、つづく。

 

 


「マツリ」の中の真学校

2017年1ヶ月間の真学校の開講まで、いよいよあと2日!

すでに受講生のみなさんをお迎えする準備は整い、あとは到着を待つばかり。メイン講師のいさどんとみかちゃんは、講座資料の最終確認を行っています。
実は木の花ファミリーでは、真学校終了3日後の3月21日に新店舗「ロータスランド」をオープンするため、ただ今真学校と並行してロータスランドの開業準備も進んでおり、畑や田んぼでも新たな取り組みが始まるなど、あちこちに同時進行で様々なプロジェクトが進んでいます。そんな中、いさどんが早朝に目を覚まし、こんなことを語り始めました。

*上の写真は昨年の1ヶ月間の真学校のイベント時のものです。


いさどん:
ロータスランドのオープンに向けて、今、みんなで一丸となってひとつのことをやっている。一丸となってひとつのことを越えていくというのは、たくさんの心がそこに共鳴しあって、人に希望を与えることだ。
その中で、誰か一人でも自我にまみれていては、そのような場はできない。自我を忘れて、みんなが渦になる。カタカムナで言えば、「マワリテメクル」ということ。それは地球の動きだ。地球は自転し、公転し、歳差運動をし、微振動をしながら進んでいる。これは、古くから日本人の中にある、「マツリ」の精神だ。

今、我々は生活の中でマツリを表現している。そこでただ物理的なことを目指していると、何か特定の目的があって、それを達成するためにみんなでひとつになろうという世界になる。そこでも、自我があっては調和的な世界を創ることはできない。
今日、1ヶ月間の真学校の講座で使うカタカムナのプレゼンテーションをチェックしながら、改めてカタカムナの精神について振り返っていた。カタカムナの精神とは、マツリの精神だ。マツリの精神とは、命の仕組みの精神であり、宇宙の天体の成り立ちを言う。
そのことについて思考を巡らせていたら、北朝鮮の金正男氏が暗殺されたことが思い浮かんだ。そしてトランプ政権のフリン補佐官が更迭されたことが思い浮かんだ。世界中で争いやいがみ合いが起きている。人間のご都合主義の世界が、今の世の中に蔓延している。

ここで表現しようとしているのは、それとは別の世界だ。これをカタカムナ精神と言っていいものかどうかはわからないが、ここの生活にはカタカムナが浸透している。つまり、カタカムナを学ぶのではなく、カタカムナを語り、カタカムナを生きているということだ。魂のこもった生き方とは、そのようなことを言うのだろう。それをやっていかなければならない。いくら知識を学んで語ったところで、それが生活の中で現象化しなければ、生きることに反映されないのだから。
これからそれをやっていこうということではなく、我々は今、現実にそれをやっている。そしてその現象化したものを、1ヶ月間の真学校で伝えていく。それはとても難しいことだ。カタカムナの講座は6時間あるが、たったの6時間でどこまで伝えられるだろうか。ほとんどは理解できないだろう。なぜなら、まず価値観が違うからだ。価値観は違うが、縁があって出会った人々にそれを伝えることは、大変ではあるが希望のあることでもある。

例えばカタカムナ理論というように特定の用語を作って固定してしまうと、数ある理論の中のひとつのように思えるが、これは宇宙に遍満している法則そのものだ。
宇宙は、動いている。我々は毎日を認識し、時が過ぎていくが、これは巨大なエネルギーがうねっている「マワリテメクル」の世界だ。その中の一環としてこの仕組みがあるということを理解すると、すべてのところにその法則が遍満していることが観えてくる。それを意識しながら生きていくことが大切だ。
この理論が体得できるようになると、自我は消え、この世界を構成するものとして、大いなる生命としての役割を果たしながら、宇宙の実体のままに生きていくことになる。現代の人々は大いなるものから離れ、自我にまみれていがみ合っているが、そういったことがすべて帳消しになってしまう世界が、いがみ合いの奥にいつでもちゃんと控えているのだ。
それを語っていくことは、物理的な現状の地球を見ていると不可能なように思えるかもしれないが、ここではその存在を知って、語り出した。いずれ必ず、人間たちがそれを理解する時が来る。既に扉は開き、その動きは始まっているのだと思うと、やはりテンションは上がる。それこそ病魔に侵されて死にかかった者が生きることの本当の意味を知って「死んでなんかいられない」となるように、僕も、夜中だけど寝てなんかいられないよというテンションになった。まあ、語ったらまた寝るけどね(笑)。しかし何か、この今のときめきを語っておかなければいけない、と思った。

今日、真学校のプログラムとして上演する木の花劇団の劇の読み合わせをやった。この劇は、ガンになって死の瀬戸際まで行ったきょうこちゃんの体験を元にして、彼女自身が脚本を書いている。そこに出てくる自分のセリフを読み上げながら、あれはセリフではなく、日常会話の中から出てきた言葉だから、本番でもアドリブを交えて、そのまま生でやれたらいいと思った。最後にみんなが泣くシーンがあるが、あの涙はいいね。その場で本物の涙を流しながら、やりたいね。

(ここでひとみちゃんが、ロータスランドのテラスの上に描く壁画の下絵を持って部屋に入ってきました。)

いさどん:
何をしていたの?

ひとみ:
壁画の下絵を描いてた。

いさどん:
テラスの上の壁画を描くのに、足場に手すりをつけないのはどうしてだか、わかる?

テラスの上の壁に壁画を描くひとみちゃん
テラスの上の壁に壁画を描くひとみちゃん

ひとみ:
落ちるように?(笑)

いさどん:
あなたは、足場が壁に近すぎて、全体を見ながら描くことができないと言う。それはわかる。だから池の方に向かってデッキの端まで足場を作り、壁から離れて見られるようにするが、それは面倒なことであり、できればなくていけたらいい仕事だ。
人は自分の頭の中に構想を持っていて、それを物理的に現す時に、大きな絵なら離れて全体を見ようとする。その遠くから全体を見る目を、例えば他の誰かが補うとか、足場の下に降りて離れて見るということもできる。あなたが「近いから見にくい」と言うと、みんなはすぐにそれを解決してあげようとする。それは悪いことではないが、それよりも、そういったことを含めて、あなたの神がかり的な能力を発揮してやってもらいたい。

ひとみ:
大丈夫だよ。降りたり上がったりしながら描いてるから。

いさどん:
降りたり上がったりしながら、あなたのシャーマン的精神を呼び覚ましてもらいたい。あなたには、きっとできる。

(ここで、ひとみちゃんが持って帰ってきた絵を広げて見ました。いさどんの助言を受けて、絵には新たに太陽と月が描き加えられていました。)

ああ、いいね!月をもう少し上に上げて、月と太陽が斜め45度の角度に並ぶようにしよう。太陽はもう少し富士山の右肩に隠れて、半分だけ顔を出して、これからもう半分が出るよ、という感じになるといい。鶴と亀はどこに描くの?亀が空を飛んでいてもいいね。ルールは破ればいい。写実画を求めているわけではないのだから。(しばらくアドバイスをした後、しみじみと絵を眺めながら)いいね。テーマは、やはり花だよ。花がなければいけない。
あなたが一人でこれを描いているという気がしない。これは協同作業だ。一緒にやろう。時間のことは気にせずにやっていけばいい。そうすれば、必要なことは必要なように、事が成っていくから。これは仏像をつくるのと同じで、そこにあるものが描かれていくのだから、自分でやってやろうだなんて思わないことだよ。「これはこうだな」「これは少し違うな」と、あるものを探りあてていく、手探りのような作業だ。完成形があるわけではなく、そこに関わっていくと自然と成っていく。
あなたがあそこで絵を描いている姿は、絵になるよ。そこを通りがかる人は「何をしているんだろう?」と思い、進捗状況を気にするようになるだろう。こんなふうに、お金持ちがお金を払って誰かに絵を描いてもらうのではなく、生活の中ににじみ出る余裕から、そこに表現されていく。それは、生活そのものがマツリだからこそできることだ。

「祭」という字は「サイ」とも読む。「何々祭」というと、それは日常の生活から離れた儀式の場で使う用語になる。そこには天と地があり、地が天を崇めて祭典をするという「サ」=差のある状態だ。「サイ」は「マツリ」とは違い、まだマツリに至らない段階の儀式に用いられる。
それが「マツリ」になると、「マ」は宇宙空間であり、生命が躍動する特定の場、宇宙の法則が表現される場所のことであり、「ツ」は集い、「リ」は離れるということ。自我から離れた者たちが集い、宇宙の法則のままに生命が躍動する。それがマツリだ。そのような無我の境地で、美しく、日々を舞い踊るように生きたいものだ。

 


 

そんなマツリの日々の中で、真学校は開催されます。どうぞ一緒に、自我の囚われから放たれて美しく舞い踊るような1ヶ月間を過ごしましょう。^^

 


受講生といさどんとの対話・トオマスのヒトへの道編

「1ヶ月間の真学校」の中でいさどんは、担当するプログラムが始まる前には必ず「今日も僕はいさどんをやっています♪」と言ってからプログラムを始めていました。さて、真学校が終了した翌日13日の朝、受講生のトオマスはこれからコミュニティを立ち上げるインドネシアのバリへ出発する前に、いさどんと話す時間を持ちました。

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トオマス:
今日も僕はトオマスをやっています♪

いさどん:
僕はあなたがこれから歩んでいく道を見守っていきます。今までのあなたは現実的でなかったところもありましたが、それが今回の1ヶ月間で少し現実的になってきたと思っています。ただ、現実的イコール、事が成るばかりではありません。現実的ということは、いろいろな修正が必要なことが観えてきたということでもあるのです。人間は自らの意志で何かを成し遂げようと目標を立てるとき、強引にそれを成し遂げる能力も持ち合わせています。しかし、そのような可能性を人間たちが発揮してきたがために、今の世界の現状があるのです。それは人間社会の大きな行き詰まりにもなっていますし、自然からの反乱も招いています。それは、人間が自らの性質をこの世界に表現することの意味を履き違えているからです。

ですから、この世界を支配し、自らの願望を叶えようとするような姿勢ではなく、身近な人々に対して寄り添い、同時に自然や地球環境に寄り添うこと、それから大きな世界観を持って宇宙の流れや法則に寄り添うことが大切なのです。そのように寄り添っていく延長に自らの目的があるならば、人類がもたらし巨大になってしまった矛盾を解消できるのです。

あなたには、そういったこの世界の矛盾を解消するための閃きがあります。それは世の中や人々に有効なものをもたらすはずなのですが、それすらも独りよがりであったり、他者や自然に寄り添っていかなければ、結果同じような矛盾をこの世界にもたらすことになってしまうのです。そこでまず、自らの器を大きくすることが大切です。そして、他者に寄り添い、自分以外のすべての存在を常に意識することが大切です。それができれば、あなたの最終到達地点である尊い理想は叶うことでしょう。それは、あなたがブッダの人生を生きるということです。

日本では、「人が寄る家は栄える」と言います。その栄えることでも、低いレベルと高いレベルの栄えることがあるのです。それは自らの意識にふさわしくあるということです。今までの時代は、低い意識レベルで人間以外の存在に害をもたらし、人間の欲の心を引き寄せることによって栄えることがありました。しかしこれからは、ブッダの精神に人々が寄ってくる時代が訪れています。ブッダの精神を持つ人々が群れてコミュニティとなること――それが人々が暮らす理想の姿であり、木の花ファミリーで言う「菩薩の里」です。そこに人々が寄ってくるためには、引き寄せる核となるあなたの精神がブッダとなる必要があるのです。

あなたはまだ27歳と若いですね。僕はあなたを観ていて、自分の若い頃を思い出します。僕の若い頃より、あなたのほうがさらに目覚めています。また、僕のほうがあなたよりずっと暴走していました(笑)。そして、一番の違いは、僕はその頃自らの考えで歩んでいただけであり、誰か指針を与えてくれる人はいませんでした。もちろん当時は、天の存在などまったく意識していなかったのです。その僕にはなかったものが、今のあなたにはあります。そういった意味では、あなたにはとても良い環境があるのです。あなたが他者を意識し他者に寄り添っていけば、世の中の指針となる場所を創ることができ、あなたの人生の目的が達成されることでしょう。そこでは、あなたの目標イコール天の目標となることが大切です。

これからあなたがインドネシアでコミュニティを創っていくことは、時代的にはとても良い発想だと僕は思っています。ただ、そこではアメリカ人であるあなたとの文化的な違いがあるだろうから、今僕が伝えていることはさらに現実的にあなたに求められることでしょう。ですから、外との人間関係の調整よりも、自らの内面をどれだけ修正できるかがポイントです。

トオマス:
それを僕は今学んでいる最中です。それには180度の転換を要します。それは精神的に始まるものです。しかし同時に自らの思考や感情、人間関係の転換も要します。そして文化は、自分が何者であるのかを意味します。というのも、文化は魂と地球をつなげるからです。文化が僕たちをひとつのグループにまとめます。文化がなければ、僕たちはバラバラの存在です。ですからそれは、どれほど僕たちがまったく新しい文化を創っているのかを表しています。そしてそれは同時に僕が自分自身を観る方法の転換も要するのです。僕のここでの経験から、僕は自分が求めているものが何であるのかを知っています。だから、ただそこに飛び込んでいくだけなのです。

一昨日の講座の中でいさどんが「ヒト」について話していたとき、それがどのように成っていくのかを僕は考えました。ひとたび型が創られると、天はその中に生きます。ですから、ひとたび僕が型を目にすれば、僕はその中に生きる必要があるのです。もし僕がそれを物体としては見ても、その中に自らのいのちは入れないことになると、それは生きることにはなりません。そのようにして、万物は創造されます。それは、いかに僕たちが天の閃きであるのかということです。天は型を創り、それからその中に飛び込み、いのちとなりました。これは究極の現実です。そこでは自分たちの存在と僕たちが観るものの間に違いはありません。

いさどん:
究極の現実を語るときに、現実の現実も同時に観ていないと、つまり足元から究極の現実をつなげていかないと、身近なものと自分がつながらなくなってしまいます。ですから、あなたが究極の現実を語っているとき、僕は言葉を聞かず、感覚でそれを受け取っています。そうすると、あなたが言っていることは理解できます。しかし、人々はそれを理解することはできません。あなたの目的は、あなたのまわりにいる人々と創っていく世界です。ですから、身近にいる人々やあなたの現実と向き合い、寄り添い、ヒフミヨイムナヤコト(一二三四五六七八九十)という一から究極の現実の十までつなげられたときに、その究極の現実を語るあなたが身近にいる人々や現実の役に立つ人になるのです。

「現象を持って真実とすべし。」過去には人間社会には評価されず、悟りに至ったたくさんの聖者たちがいました。ヒマラヤにはそういったものたちがたくさんいました。彼らは自らの悟りの道を歩みましたが、人々と共にはありませんでした。そういった魂たちは天に戻った後、今度は人々に悟りを伝えるために、輪廻してまた地上に戻ってくるのです。そのときに、彼らは自らの悟りと他者とともにある悟りのギャップを埋めるのです。本来、悟りは悟ったもののためにあるのでありません。この宇宙の実相のように、調和して共にあること――そのために悟りがあるのです。

今のあなたの話を聞きながら、僕はヒマラヤで悟りに至った行者をイメージしました。実は僕も、初めて人間として地上に降り立ったときにはそのような姿勢でした。しかし最終的には、多くの人々と寄り添うことによって、天の意志を地上に表現するものになれると思うのです。それも、空想の中にではなく、現実の人々との生活の中にそれが現象として現れることが大切です。それは、生活すること自体がいのちの営みだからです。人々の生活のあり方が他の生命と調和し、さらにそれが地球や宇宙の法則と共にあることが大切なのです。調和すべき指針を探さなくても、わたしたちには自然の仕組みや宇宙の法則といった絶対のものがすでにあるのです。

ところが、今まで人間たちはそれを自我によって支配するものとして捉えてきたがために、現実の矛盾を生んでいます。今までのような人間の願望を叶える方向で生きていく限り、必ず行き詰まりを迎え、その矛盾はさらに大きくなるばかりです。ですから、そのような方向を転換し、自らから距離を置き、何が矛盾を創るエネルギーなのかを冷静に観る必要があるのです。その冷静に観る姿勢は非常にリラックスした状態です。天から時代を越えてものを観ること、天から星々の運行を観ること――そのような宇宙的な広い世界観を持つ必要があるのです。

トオマス:
僕がこれまで経験してきたように、すべての物事は僕の先にあります。必要なときが来れば、僕は必要な出来事に出会います。いさどんがよく言うように、僕は理論を観て、「これが最終結論です」と語る傾向があります。でも今さっき僕が話したように、型がまずあって、その中に天が入らなければいけないのです。いさどんは、これは理論であり、同時にそれは現実の生活なのだから、それを経験する必要があると伝えてくれましたね。そして経験が僕たちを次なる段階へいざなってくれるのです。

いさどん:
その経験があなたの先に観える目標をリアルにしてくれるのです。

トオマス:
いさどんが「僕があなたぐらいの年齢だったとき、僕はもっと暴走していました」と伝えてくれたとき、それは僕の人生の一部だったと感じました。僕の中にも激しい気性があるのです。神は絶対の存在ですから、神は「もう、そのようにする必要がありません」と伝えてくれます。しかし、僕が激しかった頃、違う現実があることに気づき始めました。今まで僕はそれが悟りに至ることで、経験の意味することだと考えてきました。しかし、それを人々に伝えようとしても、彼らは僕を理解しないのです。もしくは多くの人々は「何かがそこにあるね」「それは雲を見るようなものだね」「雲の中に顔が見えるね」と言うのです。そのように人々はそれぞれの世界の中で生きているのです。そこで僕が認識したこととして、この世界は他者からどんどん隔絶されていっています。事実、いのちのあり方のレベルはどんどん下がっています。ですから、気付きがあっても、それは生活をより良くするものではないのです。この状況はなんて馬鹿げたことなのだろうと僕は気付きました。僕たちはそこからポジティブに物事を捉えることもできますが、それは自分自身のためにそうするだけなのです。

いさどん:
もしくは、もっと広いスタンスで捉えると、ポジティブに捉えることもできるのです。自分とこの世界を分離していくような思考になると、ポジティブに捉えることはできません。そこでどちらの方向を向いているのかが大切なのですが、あなたは先程この世界はどんどん悪くなっていると言いましたね。それは事実です。人々は自然と共に生きることを忘れ、自然を感知する能力を失い、神を語っても自らの精神の中に神は生きていません。事実、人間の意識は神の存在からどんどん遠く離れていっています。

地球暦で言うと、一番強く近い角度が「結び」の状態です。それは二つの惑星が太陽の片側で同一線上にあり、二つの異なる意識が完全に寄り添っている状態です。それに対して、「開き」の状態は二つの惑星が太陽を挟んで同一線上に向かい合っている状態を指します。それは一番遠い角度です。そして距離が遠くなればなるほど、広いスタンスでつながることができるのです。一見遠くなったように見えても、その真ん中に絶対なる太陽があることに気付けば、遠くなった分だけ広い世界を表現することができるのです。

同じように、この世界が一見悪くなっているように見えたとしても、それはそのギャップの分だけ、広い意味で人々を進化させ悟らせるエネルギーにもなるのです。このように悪く見えることは、同時に良くなることでもあるのです。

トオマス:
僕はインドのシヴァ神と関係があります。なぜなら僕は災害を見ると、わくわくするからです(笑)。

いさどん:
僕も今、シヴァ神をイメージしながら話していました(笑)。今日は3月13日ですから、一昨日の3月11日は東日本大震災の5周年の日でした。今日はその5周年を迎えた最初の日曜日なので、一昨日から今日にかけて日本ではあの震災に関連する特別番組がたくさん放送されました。多くの人々はあの震災を不幸なことが起きたと捉えています。そして多くの人々は、破壊されたものを復活させることを考えています。しかし、あの震災が起きたことは人々に不幸だけをもたらしたのでしょうか。

あの震災は、人間たちが所有の心で創ってきた矛盾を洗い流してくれました。もし人間が自らの意志で所有を放棄することができていたら、天はあの震災を与える必要はなかったでしょう。そのためには、矛盾がピークに達し、それが爆発するようなことになる前に、常に矛盾を瞬間瞬間解放できるだけの心の柔軟性が必要なのです。あの震災は、人々の囚われのエネルギーが究極を迎え起きたようなものですからね。受け取り方によっては、いろいろな捉え方ができるのです。

ですから、僕もあなたと同じことを考えていました(笑)。

トオマス:
それは、多くの人々が理解することではありませんね。

いさどん:
地球上での人間の営みは、人間の心の表れです。現象という鏡からわたしたちは自らの姿を観ることができるのです。そしてそれが鏡としてわたしたちに伝えていることがわからなければ、人間は自らの行いを報いとして観ることになります。それは極めて強制的な学びです。それは、神がわたしたちと常に向き合っている証拠とも言えます。神と共にこの世界を創っているという神の側にわたしたちが立つならば、自らの自我ではなく、天の代理として天の意志を表現していると捉え、すべての出来事を受け取るようになります。

そのときに、いのちは自由に表現されます。わたしたちはとても自由な場所にいることが理解できるのです。それこそが、神さまが願っている豊かさなのです。そしてあなたが語る最終段階は、そこにあるのです。そこで最終段階が目的というよりも、始まり(ヒ)から最終段階(ト)までのすべての過程を踏んでいき、その結果最終段階に到達することが「ヒト」であり、「ヒト」の道です。それに寄り添ってくれているのが神の存在であり、宇宙の実態です。

わたしたちが自らの神聖に目覚め、神と同じように他のすべての存在に寄り添っていくと、神と同じように存在できると僕は考えますが、どうですか?

トオマス:
いさどんが話していることを、僕は神のたくさんの声だと感じています。いさどんと僕は同じことを違う切り口で語ります。僕がさっき話したように、神は型をまず創り、その中に入り、それが「チョン(天の意志)」です。そのようにしていのちを与えます。僕たちは自分自身のためにいのちを創造し、生きるためにその型の中に入るのです。だから、「ヒト」の道はまず、何も知らないところから始まります。それから人生を通して、僕たちが誕生する以前から存在していた意識を拡大させていくのです。

いさどん:
それは思い出していく道でもあります。

トオマス:
それは最終的に僕たちが自分自身と向き合うまで続きます。そして、「わたしはすでにこれをしてきた!」とわかったとき、それが「ト」になるのです。

いさどん:
実は、その「ト」が第一段階のヒからトであったり、第二段階のヒからトであったり、さらには第十段階のヒからトであって、そしてその全体がまたヒであることがこの世界の構造だと思うのです。わたしたちはこのように多次元階層の無限なる世界にいるのです。ですから、今自分が考えられる世界と目指しているところがすべてだと思うと、実はそこをクリアしたときに次の目標が観えてくるのです。神さまは無限であり、この世界も無限なのです。それは、内なる微細な世界を観ても同じです。それを、今のような科学する思考で理解しようとしても限界があります。そこでは探求しようとする思考ではなく、感じることが大切です。それこそ、自らのすべての細胞のセンサーを使って感じ取ろうとすることです。

これはカタカムナで言う、カムミを感受するということです。つまり、体中のすべての細胞を花開かせ、そのアンテナの能力を全開にするのです。そしてその一つ一つの細胞のアンテナがすべてオープンになると、その一つ一つのアンテナの芯に「チョン」が入るのです。その状態で天とつながることが男女の最高の交わりの姿であり、それをカタカムナでは「カムウツシ・アマウツシ」と呼びます。

今回の真学校ではそれについて理論的な話しかできませんでしたが、本来カタカムナの世界ではそれは体現的なこととして可能であると言っています。今のところ、それをそのような形で伝えている人は誰もいません。これから今の価値観を超えて社会が創られるようになると、それを現実に表現できる人々が現れてくることでしょう。おそらく、今、10歳以下の子どもたちやこれから生まれてくる人たちにはそういったことが可能だろうと僕は観ています。

トオマス:
僕の役割を観ると、僕はただ天が入るための空間をつくるためにここにいます。もはや逆行できない人たちはここに引き寄せられてくることでしょう。それは高齢の世代の人たちです。しかし、若い世代の人たちはそういったことに自然に引き寄せられていくのです。

いさどん:
わたしたちは自らの人生を区切って捉えがちですが、時代の一部を担っていると捉えることが大切です。わたしたちの人生は、列車が線路の上を走るときの枕木一つ一つの間隔と同じ構造であることを知る必要があるのです。駅に着くたびに時代は移り変わるのです。そして駅に着くたびに新しい時代を創る人々が次の時代を表現するために乗ってくるのです。同時に降りていく人もいます。そこで自らの人生は枕木一つ一つの間隔であることを知る必要があります。枕木一個から次の一個までの間隔を始まりから終わりと観ることもできれば、それは長い列車の旅の可能性をつなぐ一コマにしかすぎないのです。

トオマス:
それは僕の言葉で言うところの「悲しみの喜び」です。それはとても美しいのですが、同時にわたしたちはそれを所有することはできないのです。

いさどん:
ハッハッハ。所有したい心があるから、悲しみになるのではないですか(笑)?自らのスタンスを広くすれば、所有しなくなるのです。狭く観るから、所有してしまうのです。自分という存在はこの世界にあると思えばあるのですが、ないと思えばないのです。ですから、昨日僕が午前中に伝えたように、リセットすればすべては幻なのです(笑)!意識すれば現実になるのです。わたしたちは生から死に向かって現実を観ていますが、この現象世界の出来事は死を迎えると幻になるのです。わたしたちはその枕木一個一個をつないで、人類としての旅をしているのです。それは人類の始まりから人類の終わりへの旅であり、それはほんの一コマで、生命の始まりから生命の終わりへの旅であり、それもほんの一コマであり、地球の始まりから地球の終わりへの旅であり、それもほんの一コマであり、宇宙の始まりから宇宙の終わりへの旅であり、きっとそれ以上のスタンスもあるのでしょう。それがもし無限にあるのだとしたら、わたしたちがこのように分析するよりも、無限の宇宙を感じることのほうがもっと大切なのです。そのときにわたしたちは解放されます。OKですか?

トオマス:
OKです!それはいかに神がシンプルにこの世界を創造したのかということですね。

いさどん:
そうです。この究極のシンプルと、究極の緻密さと複雑さをこの世界は表現しているのです。ですから、どちらも言えますね。宇宙や神を思うときに、常に相似形で対向発生という単純な構造でありながら、極めて緻密で複雑な世界ができています。それも、わたしたちが物理的に認識できるこの三次元どころか、多次元世界に渡ってそれが表現されているのです!これはわたしたちが今三次元で使うために与えられた脳では解釈できません。感受する脳の機能を宇宙に解き放つことによって、その解釈は可能となるのです。脳細胞のすべてを宇宙空間に解き放ち、それをセンサーにして感じ取るのです。そうすると、宇宙の実態はきっと感じ取れるのでしょう。そのときには今、わたしたちが観ている現実世界は些細なことになりますね。

トオマス:
そのとおりですね!(いさどんの両手を握り、そこに自らの額をつけながら)すべてに感謝しています!本当にありがとうございました。

いさどん:
良い出会いでした。こちらこそ、ありがとうございます。

 
――

その1週間後、トオマスから木の花ファミリー宛に近況を知らせる次のメールが送られてきました。

――

 
みなさん、お元気ですか? バリに戻ってから1週間が経ちました。こちらに戻ってからはすべてがまったく新たな始まりのようであり、むしろ難しい時間を過ごしています。世界には謙虚になるべきことがたくさんあり、神が自らの仕事を任せる魂たちは常にわたしたちを鍛えることに熱心なのです!

僕は家に帰ってから、元気がなく、真学校で得た明瞭さを見つけることをとても難しく感じました。ハハハ。僕はまさにヒの段階に戻ったようです!

33歳になったら僕は悟りの境地、すなわち僕が「ヒト」と呼ぶ境地に到達するだろうと言われたことがあります。しかし、その道にはたくさんの訓練があり、僕が永遠なる光の中に座ることができるためには極端に深い闇の中へ入らなければならないのです。すべてが神であるように、僕は神への新たな勇気と愛を感じました。僕が階段を降りたとき、33という数字を見て、神のみが僕の道に明瞭さをもたらすことができると感じました。その後、「阿吽の世界へ」を読みながら、神はずっとわたしたちと共にあることを感じました。神は秘かにわたしたちをこの道にいざなっています。それはたいへん微細なので、わたしたちは幾度となく神がわたしたちと共にあることを意識さえしないのです。

「阿吽の世界へ」の中にあるいさどんと僕の会話を読み、これは神のすばらしいユーモアであると同時に、神の創造物に対する美徳だと感じました。だから、わたしたちは決して見捨てられることはなく、事実わたしたちは常に自分自身の歩みをたどりなおし、新たな悟りと開かれた心と共にあるのです。真学校での僕の時間を読み返す機会を与えられたことはたいへんすばらしいことです。たった1週間前のことですが、通り過ぎていくことの中に知恵をすでに見出しているように感じています。ギャップは埋まってきています♪

木の花のみんな(もちろんいさどん)にすべての愛を
トオマス

 

 


20日目午前「こうじ仕込み」

やすえどん講師の講座・第3弾!

「こうじ仕込み」

天然醸造部長・やすえどん
天然醸造部長・やすえどん

前2回はいずれも希望者のみが参加するフリープログラムで、こうじを仕込んでから3日後の作業である「塩きり」と、「御神酒作り」を体験してもらいました。本日は、3月9日の「味噌作り」講座で使うこうじを仕込みます。
こうじとは、米や麦などの穀類にこうじ菌を繁殖させて様々な酵素を生成したものであり、言わずもがな、味噌やしょう油の原料となる、私たち日本人の食と健康に欠かせない大切なものなのです。このこうじ仕込みを通して宇宙の神秘を体感し、食についての造詣を深めます。

 
講座は、まずは恒例のドーナッツからスタート♡

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あきちゃん特製のドーナッツ

ファミリーメンバーのあきちゃんは、よく本宅でドーナッツを作っています。というわけで、本宅で行う講座は毎回ドーナッツから始まります。

まずはみんなで「いただきます」。
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木の花ではいつも「いただきます」の掛け声は、場の呼吸を読む力をつけるという意味もあり、一番小さな子どもがすることになっています。そこで受講生も一番若いサリちゃんが掛け声を担当。すっかり板についてきました(^^)

おいしい〜〜!!
おいしい〜〜!!

実は今日は午後に「食養生」の講座があるのに合わせて、食事も丸一日砂糖や熱した油をとらない食養生メニューの日になっていたのですが、このドーナッツが出てきて食べないわけにはいきません。というわけでみんなでおいしくいただき、再びサリちゃんの掛け声で「ごちそうさま」。そして釜戸小屋へ移動します。

釜戸小屋。すでにお湯が沸いています。
釜戸小屋。すでにお湯が沸いています。
釜戸の上に降り注ぐ太陽の光
釜戸の上に降り注ぐ太陽の光

こうじ仕込みは、目に見えない微生物との対話です。刻一刻と変化していくお米や麦の姿を通して目には見えない存在の働きを知り、そこにいつも神さまを感じていると語るやすえどん。まずは場を清めるために、みんなで四拍手。
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以下、今回の材料です。

・玄米・・・・・7.5kg
・小麦・・・・・7.5kg
・種こうじ・・・15g(全体量の0.1%)
・カタカムナのウタヒ

実は決まったレシピがあるわけではありません。自分の好きなように玄米と小麦の割合を変えてもいいし、白米や大麦、豆やキビを使ったり、お米だけ、麦だけで作ることもできます。そして何より自分独自の響きが加わることで、千差万別・世界に二つとないオリジナルのこうじができあがるのです。

まずは前夜から12時間水に浸し、1時間ほど前に水切りした小麦をセイロに入れて、火にかけます。小麦はそのままだと表面にこうじ菌が付きにくいので、少しだけ削ってあります。
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薪として使っている木材は、以前ひよこを飼っていた小屋を解体した時の廃材です。さらにそこに、蜂の巣から取れたミツロウをこした後の残りカスを新聞紙に包んで追加します。こうすると、ミツロウの油分が入って火の持ちがよくなるのです。

ミツロウの残りカス
ミツロウの残りカス
固いのでトーマスが砕いてくれました
固いのでトーマスが砕いてくれました

もともとこのミツロウのカスは捨てられていたのですが、やすえどんはそれを見て「宝物だ!」と思ったそうです。
「これのお陰ですごく火の持ちがよくなった。捨てられていくものが、私には宝物に見えたの。私たちが気付いていないだけで、実はこの世界って使えるものにあふれてるんだよ。」

小麦が蒸しあがるまで、約45分。やすえどんの案内でこうじ室を見に行きます。

こうじ室
こうじ室。“蔵菌(くらきん)”の働きで壁が黒くなってます。

このこうじ室、見ての通り普通のお風呂です。ここにお湯をはり、こうじにとって快適な30℃前後の温度と90%の湿度の環境を保ち、こうじを育てます。

やすえどんは語ります。
「22年前に木の花ファミリーが始まった時は、借家からスタートしました。それで家を探していたら、たまたまある人がこの家を紹介してくれました。実はここはもともと4軒分の家だったのを、間にあった壁を取り払ってみんなで住めるようにしたんですよ。だからお風呂が4つもあります。それで、そのうちの1つをこうじ専用にすることができて、いつでもこうじが作れるようになったんです。自分たちで意図したわけじゃないのに、そういう環境が与えられたんですよ。」

木の花ファミリーの生き方は、自分たちで何かを意図するのではなく、与えられるものをいただき続ける人生でした、とやすえどん。すると面白いことに、いつも必要なものが自然とやってくるのです。収穫した野菜を保存するのに大きい冷蔵庫が必要だねと話していたら、ほどなくして知り合いから「スーパーで使っていた業務用冷蔵庫はいらないか」という連絡が入ったこともあったそうです。

「私たちの歩みは、人とのつながりの中で支えられてきました。実はこの家を買う前は、家の周りに畑があって、田んぼがあって、一つにまとまっているような場所がいいなというイメージがあったんですよ。でも実際に与えられたのはこの家で、周りに畑も田んぼもなかった。だけど、そのお陰でいろんな人から自分の土地を使わないかと声をかけてもらい、あちこちで畑や田んぼを耕すようになって、結果的にいろんな人とつながりができたんです。
神さまはいつも、私たちが考えるよりずっと素晴らしいものをあたえてくれます。だから、自分の頭で考えなくていいんですよ。あれこれと自分のことを心配するよりも、ただ心を磨いて世の中のために生きていれば、必要なものは向こうからやって来るんです。」

そんな話を聞いているうちに小麦が蒸しあがり、芯が残っていないかを確認して、ゴザの上に広げます。
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蒸しあがった小麦
蒸しあがった小麦

こうじ菌が繁殖する適温は30℃前後。最終的にもろ箱に入れてこうじ室に置く時に、ちょうどその温度になるようにようすを見ながら小麦を冷ましていきます。
「マニュアルがあるわけじゃなくて、その日の天候やその他の状況によってどこまで冷ましたらいいのかも変わっていきますから、ぜんぶ直観が頼りです」とやすえどん。
「仕込みの後の“手入れ”も自分の都合で段取りするのではなく、常にこうじのようすを感じ取りながら行います。早く作りたいからといって温度をかけすぎても、雑菌が繁殖したりしてうまくいきません。適温は30℃前後。そしてそれを人間が食べて体の中に入ると、今度はだいたい36℃になって、菌が活発に活動するようになります。よくできてますね。いったい誰が考えたんでしょう。」

小麦を冷ます間、今度は玄米を蒸します。こちらも前日から15時間水に浸し、30分前に水切りをしました。
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白米のように見えますが玄米です。玄米のままだとこうじ菌が付かないので、ある程度表面を削ってあります。玄米を使うのは「その方が栄養があるから」。お米は天から与えられた万能食品。これについては、「愛とお米があればいい」の講座で深めることになるでしょう。

お米を蒸す時間は約30分。
りょうこちゃんとたえちゃんは、陽だまりで何やら心の話をしています。IMG_8759

今の生き方を変えたい!と真学校に参加した二人。ただひたすらに心を探求する毎日を楽しみ、「あと1週間で真学校が終わっちゃうのが残念」と言います。

お米を蒸している間に、1週間前にみんなで仕込んだ御神酒がどうなっているかを見ることになりました。

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1週間前に御神酒を仕込んだ時のようす

フタをあけて中を覗き込むみんな。どうなってるかな〜。
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順調に発酵してます。
順調に発酵してます

1週間前にこの御神酒を仕込む時には、みんなでカタカムナ63首を奏上しました。では今日も歌おう!ということで、一人ひとり順番に御神酒をかき混ぜながらカタカムナ63首を奏上。
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世界を元気にするこの歌は、不思議といつまでも歌い続けていたくなります。日頃からゴスペルを歌っているエリちゃんが自然とはもって、受講生たちの美しい歌声が空に響き渡り、御神酒の中にも、みんなの響きが浸透していきます。

ここで試飲タイム!
みんなでちょっとずつ味見です。

こんな人たちも・・・
こんな人たちも・・・

トーマスはまず祈りを捧げてから試飲。さて、お味のほどは・・・?
トーマスはまず祈りを捧げてから試飲。さて、お味のほどは・・・?

「おいしい〜〜!」とこの笑顔!!
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「おいしい」のポーズを取るエリちゃんとサリちゃん。
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これからおいしいものを食べるたびにこのポーズをしなきゃいけないわ!と笑う二人。

さて、まだお米が蒸しあがるまで時間があるので「外で遊んでて〜」とやすえどん。そこで暖かい日差しの中、みんなで中庭をブラブラ。

突如童心に返り、一輪車を始めるトーマス。
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が、なかなかうまくいきません。どうもタイヤもつぶれているような・・・
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おお・・・!
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そんなトーマスに触発されてさえちゃんも一輪車に乗り始めました。こちらは上手です。
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そのうちに、明日の誕生日会の出し物のダンスを踊り始める受講生たち。
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みんなノリノリ。
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やすえどんまで!!
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ここでエリちゃんがみんなから「側転をやって〜!」とリクエストを受けて、長〜い足で側転を披露。みんな拍手喝采!
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続いてトーマス!!
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実は前夜の大人ミーティングで、エリちゃんは「今日はとても嬉しいことがありました」というシェアをしていました。
エリちゃんは時々子どものように、気分転換に側転をやるのだそうです。この日も散歩中に思い立って道端で側転をしていたら、向こうからトーマスがやって来ました。そこで「あ、見られちゃった!」と思い、せっかく楽しんでいたのに邪魔が入った、もうやめなくちゃ、と思ったら、なんとトーマスも一緒に側転をやり始めたのだそうです。

実は真学校が始まって以来、エリちゃんはトーマスを通して複雑な感情を体験していました。周りを気遣うことなく自分の意見を一方的に語るトーマスに「白人的な傲慢さを感じる」と苛立ちを感じていたエリちゃんは、よく考えてみるとそれはトーマス個人に対してというよりも、アメリカという国で黒人として生きる中で負ってきた過去の傷が、白人への怒りとなって噴出しているのだと気付いたと言います。「自分でも気付かないままこんなにも溜め込んでいたことに驚いた」とエリちゃん。

一方、新学校卒業後はバリでコミュニティを立ち上げることを計画しているトーマスは、高い理想を持ちながらもなかなかうまく人とコミュニケーションを取ることができず、真学校を通して等身大の自分と向き合うこととなり「自分はまるでオズの魔法使いのブリキのようだと思った」と言います。「ここは、“心”とは何かを学ぶ場所。僕にとってのオズの国です。」

なんと偶然にも同じ大学のトランスパーソナル心理学学科という同じ学科に通っていたというこの二人。異なる人種としてそれぞれの立場を体験しながら、今、立場を超えて宇宙からの視点で人類全体の歩みを振り返り、分離と争いの時代から調和と統合の時代へと向かう学びをする1ヶ月間の真学校という場で出会い、共に学び続けています。

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真昼の道路でトーマスと一緒に側転をして「まるでちっちゃい頃からの友だちに出会ったみたいだった。ありがとう」とエリちゃん。

そんな二人に続いて、他の受講生たちも次々と側転!
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もと体操部のやすこちゃん。さすがに上手!!
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そうこうしているうちにお米が蒸しあがりました。小麦同様、芯が残っていないかをチェック。
小麦に芯が残っていないかをチェック

きちんと火が通っているのを確認し、ゴザに広げて冷ましていた小麦の上にあけます。
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そしていよいよまぜまぜ開始!!みんなの手で、お米と小麦を混ぜあわせます。
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ひたすらまぜまぜ。
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年齢も国籍も肌の色もそれぞれのたくさんの手が入り混じって、材料がひとつに混ぜ合わされていきます。

すみずみまで混ざったところで、一人ひとりに種こうじが渡されました。
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「今みんなが混ぜた小麦とお米は、大地です。そこにこうじという種を蒔きます」とやすえどん。
みんなのエネルギーがたっぷりと入った大地に、種が蒔かれていきます。
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そして再び、ひたすらまぜまぜ。
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こうじの量は全体の0.1%。もっとたくさんこうじを入れる人もいるけれど、こんなに少なくていいんですか、という質問に、「こうじにとって快適な環境を整えてあげさえすれば、こうじは自分たちでどんどん増えます。人は、これでは少ないんじゃないか、もっと多くした方がいいんじゃないかと思ったりするけれど、実はそういう不安の心から、たくさん無駄なことをしているんですよね」とやすえどん。ではこうじにとって快適な環境はどうやって作るのかというと、やっぱり「直観が大事」。一瞬一瞬が微生物たちとの対話であり、天との対話なのです。

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こうして混ぜ合わされたものを、適度な温度と湿度に保たれたこうじ室に入れておくと、翌日の夜には白く美しい「こうじの花」が咲きます。こうじ菌のみならず、受講生一人ひとりの微生物が入った多様性の大地で、こうじはどんな花を咲かせることでしょう。

混ぜ合わされたものを12等分してもろ箱に盛り分けます。
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盛り分けられたこうじの形を見て「皆神山みたい!」という声が上がります。3月8日に受講生の希望者と木の花メンバーで行く長野県の皆神山は、確かにこんな形。「やっぱり何か意味があるんだね」とやすえどん。
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もろ箱をこうじ室に移し、露防止のタオルをかけて庫内温度が30℃になるように設定。約12時間後の夜と、そこからさらに約8時間後の朝に、やすえどんがこうじをもみほぐす「手入れ」をしてくれる予定です。そして3日後には塩を混ぜてこうじ菌の働きを止める「塩切り」を行い、味噌作り講座まで保存します。
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こうして講座が終了し、時刻は12時10分前。こうじ仕込みをした本宅からお昼ご飯を食べるひまわりまではいつも車で移動していますが、「気持ちいいから歩いて帰りたい」と、足取りも軽く、受講生たちは歩いてひまわりへ向かったのでした。

 
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1ヶ月間の真学校も、残すところあと1週間。
それぞれに変化してきた受講生たちも、いよいよ仕上げの時に入ります。

 

 


17日目午前「性と宇宙2」

すべての生命の源である性についての認識を根底から覆す講座「性と宇宙」。この世界の成り立ちの根本原理を学ぶ第一部を経て、第二部でいさどんは以下のように語り始めました。

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いさどん:
真学校も残るところ半分ほどとなりました。ここまで来ると、みなさんもそろそろ、ただ情報を得ると言うよりも、自分自身と対面する段階に入ります。感情やクセのままに生きていると、自分自身の課題から逃げずに向き合うことはなかなかしないものですが、こういった学びの機会を得ることによって、今まで向き合ってこなかった自分自身と対面することになるのです。

真学校は、情報を得ることが最優先なのではありません。ここでたくさんの情報を得ても、実際に自分の中に残るものは、きっと僅かなものでしょう。しかしその情報は、これまで見過ごしてきた自らの課題と向き合うきっかけとなります。そして自分の力でそれを超えることが、今後皆さんが人生を歩んでいく時の大きな力になるのです。そして共に学ぶ仲間がいれば、一人ひとり課題が違うわけですから、それぞれの経験や課題の違いから互いに学び合って、自分自身に活かしていくことができるのです。
そうやって自らと向き合い、これまで曖昧にしてきたことに対する答えを出すことが、1ヶ月間の真学校の一番の目的ではないかと考えます。それはこれまで人々がなかなかできずにきたことですが、今、みなさんはそのチャンスの時にいるのですから、ぜひ活かしていただきたいと思います。

 
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第一部では、性というものが宇宙の仕組みやこの世界の成り立ちの延長線上にあるということをお話ししました。それは考え方によっては当然のことです。構造としては、この世界を成り立たせている法則の中で私たちが生まれてきて、そしてその法則のもとに維持されてこの世界ができているわけです。つまり、この世界は相似形であり、大きいものも小さいものもすべて同じ構造でできているのです。

*第一部プレゼンテーションより


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私たちは性を通して生まれてきて、性を通して次の代に命をつなげています。私たちの原点が性にあるわけですから、それがこの世界と同じ仕組みになっていることは、よく考えてみれば当たり前のことなのです。
残念ながら、現代の人々は、私たちの世界において性がそのように重要かつ大きな存在だとは捉えていません。それどころか、性は私たちの存在の根源でありながら、秘め事として隠されてきたのです。そして秘め事として隠されることによって歪められ、隠し事どころか忌まわしいことのようにさえ捉えられているのです。
僕は、性に関することを堂々と行おうと言っているのではありません。そういった行為を正しく捉えることが大事だと言っているのです。なぜならそれは、私たちの未来を繋いでいく子どもたちにつながることだからです。今の世の中は、性が逆転現象を起こしていると言えるのです。

昨夜の大人ミーティングで、日本の労働の現状とアメリカの大統領選挙についてのビデオ(クローズアップ現代「広がる労働崩壊~公共サービスの担い手に何が」「大統領選挙に異変あり~アメリカ社会に渦巻く不満」)を観ました。どちらの社会にも課題がたくさんあって、今はある意味、これまで作ってきた価値観を切り替えなければいけない時を迎えています。
多くの人々は、表面的な改革でそれを乗り越えていけばいいように考えています。しかし皆さんは、真学校を通して根本的な物事の捉え方を学んできたことによって、今の社会が根本的な切り替え時に来ていることに気付いていると思います。ですから、この学びを皆さんの人生の切り替えに役立てていただくと同時に、ぜひそれを社会の改革に役立てていただきたいと思います。
今日は、今の社会の性の現状について少し触れながら、最終的には性の本質と、これから私たちがそれをどう捉えて、次の世代にどうつないでいくかというところに、学びをつなげていきたいと思います。簡単に言えば、今の世の中は逆転現象を起こしているということです。実は性に限らず、どんなことでもそうなのです。それに対して、単に社会を批判するのではなく、いろいろな情報に出会った時に、その情報の奥にある本質を観抜く力を身に付けるということに、皆さんは今取り組んでいます。

それでは情報に入ります。

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過去に人がハングリーだった頃には、どちらかと言うとセックスに対しての欲求が強い時代がありました。動物でも植物でもそうですが、危機が迫ってくると、次の子孫につなげなければいけないので、そういった欲求は強くなります。逆に、環境が豊かになってくると、自然界ではそういった欲求は減っていくのですが、人間の世界では、今の経済的先進国の現状を見るとそうとばかりは言えません。むしろそういった所では、歪んだ性が横行しているように見えます。私たちの存在の根幹である性が歪んでいるが故に、人間の物事に対する価値観の歪みが発生しているのです。

真学校で性について取り上げているのは、本来性というのは、私たちが生命として誕生し、世界を維持し、時代をつなげていくために欠かすことができない、根本的な柱だからです。そして性の仕組みは、宇宙の仕組みそのものであり、地球上の生態系システムの根源であるにもかかわらず、現代はその解釈が歪められています。そこを根本的に切り替えない限り、健全な社会に行き着くことはあり得ないのです。

日本の性の現状を観ると、人々の日々の暮らしの在り様が狂っていることがわかります。異常にセックスに興味を持つ者も持たない者も、正常に戻していくということが必要なのですが、今は何を基準にして正常と言うのかがわからない状態になっているのです。

これは真学校の学びの中でずっと話してきたことですが、宇宙には一つの揺るぎない原理原則である「アメノミナカヌシ」という柱があります。そしてこの世界は全て相似形で成り立っていますから、宇宙を構成している一つである私たち一人ひとりの中にも、アメノミナカヌシという柱が働いているのです。ところが今の人々には、その大本となる宇宙の柱も、それを構成する個々の人々の中にあるはずの柱の存在も忘れられてしまい、何を指針とすればよいのかわからない状態になっています。

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そういった構造的な問題を理解して取り組まない限り、昨日のアメリカ大統領選の話でも、日本の労働の問題でも、この性の問題でも、ただ表面的な対策に追われ、対策をすればするほど難しい問題になったり手間がかかったりするだけで、結局根本的な解決にはつながらないのです。問題ごとにはそれぞれにたくさんの理由があり、その一つ一つが大きな勘違いから生まれてきているのですが、その勘違いを根本的に解決するというよりも、対症療法に追われているのが今の社会の現状です。そういったことを今、全てにおいて逆転させなければならない時が来ているのです。

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このような、人類にとって大きな問題について今ここで語っているということは、今はまだ小さな動きですが、皆さん、見ていてください。世界中が必ず、この根本的なことに取り組まないと成り立たなくなる時が来ます。皆さんはその時に先駆けてこういったことに出会っているということは、今、奇跡の出会いをしているということなのですよ。

僕の中には、時代を超えたビジョンがあります。僕は30歳の時に、こういった新しい時代に向けての取り組みをメッセージとして受け取るようになりました。それをいただきながら、実際に自分の歩みが世の中に対してどんな役割を果たすのだろうと考えていた時に、あるビジョンが湧きました。
それは、生まれ故郷の岐阜県の山の中で、将来新しい生き方をする、というものでした。人間によって変えられてしまった二次林の山を自然の山に還し、動物たちと人間が共に生きていけるような環境を整備し、そこに人々が助け合って暮らすコミュニティを創ろう、そしてそのコミュニティの名前を菩薩の里としよう。そこは、今の一般的な価値観が通用しない、ある意味治外法権のような、特異な生活で成り立つ場所です。老若男女が助け合い、誰もが他者の為に生きる、ユートピア ――― そんな場所をイメージしていたのです。
そして、そういった場所を創る目的がどこにあるのかと考えました。いつかそこを訪ねてくる人々がいる。それはこの国を司る人たちです。その人たちがこう問いかけるのです。「私たちはこれまでいろいろな手法を使って、この国がより良い豊かな国になるよう努力をしてきました。けれども、どの手法をとっても、良い国を創ることができません。そして困って考えあぐねていた時に、この地に理想の生活をしている人々がいるということを耳にしました。そこで、より豊かで人々が幸せになる国を創るために、その智恵をいただきに来たのです。」
その時に、僕はこう答えます。「それは手法ではありません。ここにいる人々や自然を観てください。ここの人々の心や調和の姿こそが、真に国を豊かにし、より良い社会を築くものだということがわかるでしょう。」
それが、木の花ファミリーの生活を始め、こういった生き方につながった元になっているのです。

そして、僕は天からもう一つメッセージをもらっています。それは、「お前が肉の体を持って地上を生きている間は、世の中が本当にその事の大切さに目覚めることはないであろう」ということでした。つまり、僕は次の新たな社会の土台を創る役割を担う者であるということです。生きている間にその成果を観ることのできない役割ですが、それでもやる気があるか、と問われたのです。僕はそれに対して、「あります。土台であろうが何であろうが引き受けます。」と答えました。

もうすぐ僕は65歳になります。僕の人生の契約は80歳までなので、あと15年ほどです。15年を過ぎると、今ここにいる皆さんの中でも若い世代の人たちが、最も活躍する時代が来ます。そしてその先の15年を思ってみると、アメリカや日本の混乱がそろそろ落ち着いて、次の時代の人たちが社会を引き継ぎ、そしてさらにこれから生まれてくる子どもたちにつないでいくためのベースができる時代になる、とイメージしています。

時代は私たちが生きている間だけ紡がれているわけではありません。宇宙の誕生、維持、消滅が延々と繰り返されていくように、その動きが途切れることはないのです。その中で、私たち生命は、その途切れることのないもののつなぎ役なのです。さらに、肉体はこの数十年で途切れますが、魂はずっと時代をつないでいくのです。ですから、遠い過去のことも、遠い未来のことも、すべて私たちのことです。世界観が広がれば、そのことが理解できるようになります。

みかこ:
時代は常に進化し続け、いつの時代もその時代に相応しい魂が肉体を持って地上に現れ、役割を果たし、次の時代へとつないでいます。ということは、新しい魂が生まれてこなければ時代が先へ進まないことになりますね。進化し続ける時代の意志を受け取って表現する者がいないのですから。古い魂ばかりでは、時代を進化させることはできません。

いさどん:
だからこそ、魂を降ろす行為をまじめにやらなければならないのです。性行為がただ子孫を生むためだけの行為になってしまったら、それは宇宙的には高次の意識とは言えません。動物がそうでしょう。動物たちは子孫を残すために本能として、性交を行います。しかし人間は、宇宙の法則を司る側から、その意識を共有するものとして地上に降りてきているのですから、高次の意識を持ってそれをつなぐことを託されているのです。

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人間は、このように高次の存在であるからこそ、本来の役割に目覚めることが大切です。

そして皆さん、実は、人間が生き物なのではないのですよ。時代が生き物であり、人間はそれを請け負い、つなぎ、表現するために生まれてくるのです。
例えば土手の草は、意志を持っていません。刈られて畑に入れられれば土に還って作物になるし、その場に置かれればまた土手の草になるし、刈られなければそのまま土手の草であり続けます。作物になって人間に食べられれば人間になるし、虫に食べられれば虫にもなります。それは変幻自在に変化していく、自我を持たないものなのです。
それに対して人間は、一人ひとりが自我を持っています。草はいろんな種類や個性はあっても、霊的な違いというのはありません。草の一つひとつに魂の違いはなく、ただ縁の違いがあるだけです。しかし人間は草ほど多様な種類はないのに、一人ひとりの魂は実に多様で、オリジナルな自我を表現しています。そこに、時代の意志を託せるものと託せないものとの違いがあるのです。そうでしょう?平安時代のペンペン草と今のペンペン草のどこが違いますか (笑)。環境的な違いはあるかもしれませんが、霊的な違いはないですね。

現代社会の性の実態を観ていくと、我々人間は、大きな勘違いの時代を生きていることがわかります。自然界を見てください。そこでは人間の社会のように法律やルールはありませんが、レイプのような愚かしい無秩序もありません。しかしこの高度な生き物であるはずの人間の世界だけに、そういった歪んだ性が横行しているのです。
人間が価値あるものとしての尊厳を保つために、性こそ一番に本来の姿に戻さなければいけないものなのです。ですから、皆さんは世界からすればほんの一握りの人たちですが、こういったことを語り合い、真実が発信される場にいることを大切にしていっていただきたいと思っています。

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今、僕はここの皆さんに語るというよりも、ここを通して地球人類に語っていました。体は限定されたものですし、我々は特定された場所にしか生きることはできませんが、魂や意識が大きく広がれば、時代に語りかけ、人々を目覚めさせ、地球にそのことを広めることができるのです。これは事実です。あなた一人の小さな気付きから、時代は動いていくのです。

みかこ:
いさどんが性の現状の話の中で急にモードが変わって世界観を語り出した時、とても大切なことを語り出したと感じました。その時、この場が受け皿となって、いさどんに何かが降りてきたのです。それは受け皿が多ければ多いほど、世界に力強く広がっていきます。いくら真理を語ろうとも、それを受け取る人々がいなければ、その真理が世界に広がることはないのです。降ろす人と受け皿となる人がいて、初めて真理はこの世界に広がっていきます。それは「アマウツシ」とも言えるものであり、この『性と宇宙』の講座の中でもとても大切なところです。

いさどん:
アマウツシとは、天と地、男と女など、相対するものが対向発生することであると同時に、アマウツシという言葉の如く、天を地上に映すことでもあり、天という宇宙法則が地上に表現されることです。それは高次の意識があって初めて成る、人間像と言えます。
カタカムナで言うアマウツシとは、カムウツシ状態の意識レベルにある男性が、潜象界から湧き出る高次の響きを受けて真理の湧き出し口となり、それを感電状態となった女性が受け取って、高次の意識の響きを有する人格が表現する場が形成されていくことです。それは交わることをきっかけとしてもたらされ、ひとたびその意識状態に到達した者は、常にその意識で日常を生き、ものごとに関わることによって、他の人々を導く者になります。

みかこ:
物理的な交わりを通さなくても、降ろす人と受け取る人がいることで真理は広まっていくけれど、カタカムナで言うアマウツシとは、それをさらに交わることを通して高次の意識を降ろすことであり、とても深いものです。

いさどん:
性を通して高次の意識となり、その高次の意識の状態で人々と共に生きることにより、その高次の意識から発するものごとの捉え方が人々に伝わっていくのです。
それは、行為によって鍛錬されていくものではありません。意識レベルが上がっていくことによって、それが可能になるのです。そして真理が降りてくることによってそれを語る者となり、意識を上げていくからこそさらに真理が降りてきます。それは天と地の対向発生です。男性は意識して直観を降ろし、女性は高次の感電状態となり、そこには、通常の人間意識を超えた世界があるのです。

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コミュニティでアマウツシが起こるということは、特定の個人としての男女にそれがあるのではなく、全体の中でその部分の役割を担っている者にそれが起き、全体に還元されていくということです。
ですから、今のこの場も同じですね。皆さんが、私が発したことの受け皿となることで、それが世界へ還元されていくのです。コミュニティは地球のひな型であり、そもそも地球全体がひとつのコミュニティなのですよ。そして今、こういった意識の受け皿があるからこそ、真理が降ろされて解き放たれているのです。

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そしてそれは響きとなり世界に広がり、少しずつ少しずつ、その響きが人々の気付きとなっていくはずです。
対向発生は男女の間だけではなく、コミュニティでも、この真学校の場でも、地球全体でも起こります。その意識に目覚めた人々が増えていくことで、世界中に広がっていくのです。
そのためには、皆さんの中に、そのことを強く信じる心が起きることが必要になります。そして、それが発信源となっていくのです。

アマウツシとは、宇宙の実相が湧き出る受け皿となる人間の意識レベルの、最高の位置に属する境地です。ですから、言葉で聞いたり文章で読むだけで理解できるものではなく、人間に与えられているすべての能力、経験を駆使して、初めて到達できるものなのです。ということは、私たち人間には、その境地に到達できる可能性が秘められているということです。そしてそれを可能にする能力があるということは、私たちが宇宙に存在する意味は、それを現象化することを宇宙から託されているという、希望ある存在であるということです。

 
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13日目午前「フリープログラム:お神酒づくり」

今日のフリープログラムは「お神酒づくり」。
以下、講師のやすえどんからのレポートです!

 

宇宙の響きを醸す御神酒づくり

〈 材料 〉すべて天然循環自家栽培!
■ 玄米糀
■ 玄米・黒米(2割)
■ 富士山の御霊水
■「カタカムナのウタヒ」

神様に捧げる食べ物の中で最も大事なのが、「御飯(みけ)」、米から醸した「御酒(みき)」、米を突いて丸めた「御餠(みかがみ)」の3つです。その中でも、米の酒は飲むことで特殊な精神状態をつくりだし、神意に近付くことができるもの、と、ある時ふとメガネ屋さんで手にした雑誌に記されていました。

けれどももともとこのような知識があったわけではなく、木の花ではいつの頃からか大切な行事の時には御神酒をお供えし、みんなで頂いてもいました。最近では、新月や満月の時にも頂くようになりました。それも、糖化発酵中の甘い状態のものを頂いていたのですが、これが又後になって、「飲む点滴」もしくは「天然のビタミン飲料」と言われるほど栄養価に優れたしろものだということがわかったのです。

そしてもう一つ、「神意に近付くことができるもの」とは ―――――
3年前よりここで催されている「富士浅間木の花祭り」を通して気付いたことなのですが、神意に近付くとは、心を清め、神と一体となって、ウレシウレシ、タノシタノシの弥勒の世を創ることにあると・・・。

「わからないけど何か大事」ってここで生きてきたけど、御神酒作りもまた然り。
「ハッハッハッ、おもしろーい!!」

作り方はいたってカンタン。それは、この宇宙の仕組みがシンプルであることを教えてくれます。

まず、御霊水に手作りの玄米糀をパラパラと落とし入れ、混ぜます。
次に、蒸した黒米入りの玄米を入れ、混ぜ混ぜします。
この時に、宇宙の仕組みである「カタカムナのウタヒ」を響かせ、宇宙と共振するのですが、それはまるで、日本最初の夫婦として高天原の神様から誕生した、イザナギノミコトとイザナミノミコトの国生みの風景のようです。

カタカムナのウタヒ第63首を響かせながら、イザナミノミコトとイザナミノミコトが天の沼矛(あめのぬぼこ)をまだ何もできていない海原に下ろし「こをろこをろ」とかき回して日本の国を創ったという神話のように、一人ひとりがこの世界を担い、クニツクリをしているというイメージが湧いてくるのです。

その後は常温のままおいておき、あとは天が醸す絶妙なる味を味わうことができます。

御神酒作りは国作りでした♪
神様の恵みに、感謝です!!


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受講生といさどんとの対話・エリちゃん編

1ヶ月間の真学校では、受講生一人ひとりがそれぞれの歩みで目覚めていくことを大切にしています。そこに固定されたプログラムはありません。12名が参加する2016年度は、個性豊かな12通りの学びがあります。
その中の一人であるアメリカ人のエリちゃんは、今年1月に初めて木の花ファミリーを訪れました。36歳の彼女は7年間ある重い病を患ってきましたが、木の花に来てからその症状が癒され、人生の新たなステージに向かう生き方を模索していました。以下は、真学校参加を決める前のエリちゃんといさどんとの会話です。まずエリちゃんが自らの病気についていさどんに説明した後、いさどんは次のように語り出しました。

「1ヶ月間の真学校」受講中のエリちゃん
講座受講中のエリちゃん

いさどん:
日本語で「病気」は気が病むと書き、心が原因となって表されるものです。ですから、心の状態によって病気が重くなったり軽くなったりするのです。

エリちゃん:
まさにそうですね!昨晩の大人会議でいさどんがおっしゃっていたように、わたしの意識が神とつながり、エネルギーが流れているときには調子が良いのです。私は今回初めて日本に来て、もう3週間が経つのですが、日本でたくさんの目覚めた人たちと出会ったように感じています。彼らは「あなたは神なのです。病気があなた自身ではないのです」とわたしに思い出させてくれました。そしてここ木の花で、わたしは病気から完全に解放されています・・・伝えたいことは本当にたくさんあるのです!

いさどん:
わたしも同じですよ(笑)。極端なことを言えば、すべてを伝え合わなくても、これはとても意味のある出会いだということはわかりますね。

エリちゃん:
心からそう思います!昨年からわたしはまるで子どものようにたくさんのメッセージを受け取ってきたのですが、その傾向は日本に来て、さらに木の花に来てからより強まっています。

いさどん:
今はそのような時代であり、木の花ファミリーは一般社会からすれば、まだ特殊な歩みをしています。しかし、わたしたちは今、地球規模で新たな時代に突入するターニングポイントを迎えているのです。今までの時代は、わたしたち人間が物理的な体を持っているために、病気も物理的現象であるかのように受け止められ、お金やものなどの物理的な豊かさを追求する時代でした。それは人間の欲望から捉えると、ある意味魅力的でもあったのです。人間には物理的な欲求の心と霊的な欲求の心の両方があるのですが、今の時代の人々は物理的な欲求が優先してしまって、バランスを欠いている状態なのです。

わたしたちの体の中にはいくつかの気の柱があり、そのバランスによっていろいろな症状が出たり、健康であったりします。そのアンバランスが起きるということは、人間を進化させる元にもなるのです。

エリちゃん:
そうです!ありがとうございます!!

いさどん:
ハッハッハ。

エリちゃん:
というのも、これまでほぼ7年間、わたしは病にひどく苦しんできたのですが、昨年になってようやく、わたしは病気に感謝できるようになったのです。ですから、病気はわたしの大いなる師なのです。

いさどん:
それは良い捉え方ですね。 今、日本で最も多くの人がかかって亡くなる病気が癌です。癌細胞からすると、温かいことと人々が朗らかに生きることが最も嫌な環境なのです。ですから、現代社会は癌にとって最も繁殖しやすい状態でもあるのです。今、医療は物理的には高度に発展していますが、それは病気に対する根本的な治療方法ではなく、その認識が病気の根本原因に行き着いていないのが現状です。

病気は決して悪いものではなく、わたしたちにそのアンバランスが起きていることを教えてくれているのです。そのことが理解できる魂と、この世界の出来事を善悪のふたつに分けそれを裁いていく魂の違いは大きいのです。あなたはそういった現象の奥にある真実を考えられる環境に行くと、心が楽になりますね。それは、あなたが次の時代を生きる魂だからです。今の時代においてあなたのような人たちは、自分の心が理解されない環境で育ってきました。だから、孤独に感じることもあるのです。しかし、その苦痛は次の時代を生きるためのバネになるのです。

エリちゃん:
そうですね。これは表現するのが難しいのですが・・・今回日本に来たのも、それは何か説明できるような理由があって来たのではなく、わたしの魂が今ここに引き寄せられたのです。

いさどん:
これからの生き方は、そういった物事に対する姿勢が大切です。それは、直観で生きるということです。人間以外の生命はそのような本能と共に生きています。人類にも、過去にはそういった時代があったのです。

新たな時代は、科学・物理・テクノロジーの発展を捨てるわけではありません。今、ピークを迎えている物理的テクノロジーの進化は、優れたことでもあるのです。ただ、それが未だに人類社会に真の平和や安定、そして豊かさをもたらしていないだけのことなのです。

出会った困難に対してそこから疑問を持ち、新たな価値観を模索しているあなたのような人たちが今、たくさん現れてきています。あなたは「1ヶ月間の真学校」に興味があると言っていましたが、今のところこのプログラムは一年に一度しか開催できません。それはわたしたちの生活上、ゆっくりと時間をかけてここにあるノウハウや情報を提供できるのは、この期間だけだからです。通常、もっと重症な心身の病を持っている人に対する取り組みとしては、自然療法プログラムがあるのですが、その場合、その人が病気の状態を健康に回復するまでの取り組みが主な目的です。しかし、「1ヶ月間の真学校」は宇宙・地球・人類の歴史を紐解き、現在わたしたちがどのような時代にいるのか、自分自身に働いている感情はどういう構造になっているのか、そしてどのように新たな時代を迎えたらいいのかを分析していくのです。

今、地球規模で行き詰まりを迎えている現状は、宇宙的に言えば切り替え時が来ているのですから当然のことなのです。ところが、世界のリーダーの多くはその原因がよくわかっていません。さらに、これからの時代は一人ひとりが目覚める時代なのです。ですから、リーダーが現れて新たな時代にいざなう時代ではないのです。そういった意味で、個人の損得の延長にこの世界を何とかしたいとか、自らの苦痛の延長に改善を求めていくのではなく、近代の社会のあり方に疑問を持ち、新たな時代を迎えようと模索する人たちが今、現れてきているのです。ですから、一人ひとりは個人のことで悩んでいるかもしれませんが、その現象の結果次の時代に訪れるのは、もっと大きな世界的ネットワークを創り出す動きだとわたしは観ています。そういった人々が広い世界観を持つことによって、心のキャパが広がり、社会にも精神的ゆとりが生まれることにより、病気などの個人的問題も社会の行き詰まりも自動的に解決されていくのです。

わたしは30数年前にこうしたビジョンを受けるようになりました。そこで気付いたことは、一人ひとりの人間は本当にオリジナルで、過去・現在・未来においてあなたという存在はあなたしかいないのであり、この瞬間しかいない、ということです。そういった個である存在に目覚め、一人ひとりが自分らしく生きると同時にこの世界に貢献していく姿が、地球に表された人間の姿なのです。

「1ヶ月間の真学校」は、こちらがただ情報を提供して学習してもらう場ではありません。わたしたち一人ひとりの中には、宇宙が誕生してから現在、そして未来までのすべての情報がDNAとして入っているのです。そして今のあなた自身は、あなたという魂がそれをDNAから引き出して、今のあなたの状態にしているのです。健康な状態も病気の状態も、あなたの魂が引き寄せてそうしているのです。ですから、病気もメッセージと受け取ることができれば、あなたの健全の元になるのです。しかし、病気を単なる病気だと捉え、それを排除したいと思えば、あなたの病気はいつまでたっても病気として認識され、たとえそれが治ったとしても「あれは病気だった」ということで終わってしまうのです。

物理的に解決することはとてもエネルギーがかかるのですが、霊的に解決することはいとも簡単なのです!

エリちゃん:
本当ですね!

いさどん:
この世界は、霊的なものによって物理的な現象が誘導されています。そういったことを自らの中から湧き立たせることが、「1ヶ月間の真学校」のプログラムなのです。現在を理解するためには、過去から現在までのプロセスを理解する必要があります。そして過去から現在を理解すると、現在から未来の流れが観えてくるのです。そうすると、未来に対して不安になる必要はなくなります。そのように、自らの心が未来を創っていくのです。今、人類がそういった姿勢に立って、これから地球の歴史を創っていく時代が訪れています。

過去には様々な宗教や哲学が生まれ、優れた人の教えを世界中に広めた時代もありました。しかしこれからは、一人ひとりが宇宙に対してどのような意味があって存在しているのかを理解し、その目覚めのネットワークを広げていく時代に入ったのです。それは、過去の宗教などのような特定の教えを広げるためのものではありません。それはわたしたちがこの世界に生きている意味を認識するためのものなのです。あえて言うならば、人類は皆、宇宙に所属しているのですから、宇宙からその意味を受け取り、気付く立場にいるのです。

わたしたちには次の時代の訪れを一般の人々より少し早く感じたものとして、互いに連携し合い、それを広めていく宣教師のような役割があるのです。たとえば、あなたがここに来てたくさんのことを感じ、この場でわたしに語りたいことがたくさんあるように、わたしにも伝えたいことがたくさんあるのです。

エリちゃん:
それは、わたしがいさどんに質問したいことでもありました。わたしたちの心が本当に開放されていると、天から絶え間なくメッセージが降りてくるのです。

いさどん:
その発想をしていること自体、あなたは次の時代を生きる人なのです。人が自らの考え方の中に囚われている状態を、漢字で「囚」と書きます。これは、枠の中に人が入っている状態です。この枠の下の部分を取り去ると、玄関ができて外からの情報が入ってきます。そして、上の部分も取り去ると、上からは天の法則が入ってきます。そうすると、「囚(とらわれ)」が「閃(ひらめき)」になるのです。囚われの状態とは、頭の中で思考がぐるぐるとまわり、自らの価値観で物事を裁き、世の中を生きている状態です。それに対して、閃くという状態は上から降りてくる直観と、内から湧き上がる気付きの両方によって生まれます。この閃き(直観+気付き)の状態を「縦」の思考と呼びます。それに対して、囚われの状態を「横」の思考と呼びます。横の思考は、縦の思考に沿うと、健全に働くようになるのです。そして、この縦(|)と横(一)の両方を合わせると十(重合)となり、完成されたヒトの姿となります。カタカムナでは、これを一(ヒ)から十(ト)までの道ということで、それを十(ヒト)と読み、完成された人間の姿を表します。それは、悟りに至ったヒトの姿です。

約13000年前に東アジアに存在していたカタカムナ人は、直観により自然の物理性やその元となる世界を体感し、生活していました。

エリちゃん:
わたしはカタカムナを学ぶ必要がありますね!

いさどん:
そうですね。カタカムナは世界中の言語の元になっているものなのです。わたしたちの文化は漢字を持っていますが、それは文字に意味があるのです。しかし、言語の一番の元は、一つ一つの音に意味が込められているのです。わたしたちは音を発するものであり、音を組み合わせることによって意志の疎通を図ります。その音は全部で48です。その一つ一つの単音に意味があり、音が組み合わさると、物理性が示されるのです。ですから、この世界は音の響きによってできているのです。わたしたちは音を出しながら、この世界を創っているのです。

その響きは耳に聞こえる以外の世界にも及んでいます。たとえば、物事を前に進めていく正の響きもあれば、それを逆行させる反の響きもあります。ですから、家庭の中で対立する人間関係が生まれ、その結果その家の食べ物を腐らせてしまうような反の響きを出している家庭もあるのです。逆に、この世界が過去から未来へ向かって進むように宇宙の法にふさわしく沿っていく響きもあるのです。そのように法にふさわしい正の響きを発していると、人は健康になっていきます。

人類はこれまで、いろいろな問題が起きるとそれを表面的に解決しようと努力してきました。しかし、なぜそのような状態になったのかを紐解き、そうならないような正の響きや流れを創っていけば、自動的に問題は消滅するのです。今の世界はとても複雑になっていて、純粋で美しい元の響きがわからない混沌とした状態になっています。ある意味、それはとてもダイナミックでもあるのですが、人々はそこを理解することができず、突破するのが難しい状況になのです。しかしそういったことの原因をよく理解し改めれば、シンプルに、効率良く、豊かに生きることができるのです。人類は、そういった世界を自らの中から湧き立たせることができるのですが、そのためには閃きが必要なのです。

すべての生命が宇宙を構成していて、すべての生命の中にその叡智は存在するのです。特に人間は地球上の生命の中で最も高い能力を持っているのですから、そうした情報をすべて持ち合わせているのです。しかしそれと同時に、能力が高いということは、その使い方を間違えるととても愚かしいところに堕ちることにもなるのです。

「1ヶ月間の真学校」では、今、わたしたちが行き着いた情報を提供し、それを皆で確認し合う場にしたいと思っています。しかしそれは、1ヶ月間だけの学びなのではなく、人類は進化し続けていくのですから、そこに参加する人たちの新たな生き方のきっかけのようなものとなるのです。もし、あなたが参加することが可能であるならば、もちろんそれは自分のためでもあるのですが、それはさておき、新たな世の中創りに貢献していくために活かしてもらいたいと思います。

わたしが目指している世界は、わたしから湧き出る智恵を必要とする人がわたしのもとに来ます。そしてお互いに意志を疎通させるために、目と目が合うとします。そこでわたしがにこっと微笑むと、それだけでその人には通じ、「わかりました!ありがとうございます!」と言ってその人が帰っていくのが、わたしの目指している究極の世界です。本来、人間にはそういったことが可能なのです。

エリちゃん:
そのとおりですね!!ひとつ質問があるのですが、昨晩の大人会議でいさどんは2016年のテーマである「発信」について話していましたね。そこで、言葉の重要性について考えたのですが、今、わたしにはある師がいて、彼はインドの伝統でいうグルのような存在です。これまでの人生を通してもわたしにはたくさんの先生がいて、わたしは彼らの言葉のすべてを理解できなかったのですが、何かがわたしに伝わって学んでいるのです・・・すみません、わたしの質問が何だったのか、わからなくなってしまいました!

いさどん:
わたしがそれを答えましょうか(笑)?あなた自身の道は、あなたにしか歩めないのです。ですから、あなたが出会ってきた師や学びは、あなたが本来の道に目覚めるためのものだったのです。これからは、師を持つ必要はありません。あなたが自身の歩みに目覚めれば、あなたが自らの師になるのです。本来、人は皆、そうなるべきだと思っています。

生命はそれぞれのポジションを担いながら、この世界を維持しています。ですから、すべての存在が尊いのです。過去の時代には師と弟子という関係があったのですが、新たな時代はポジションが違う関係であるだけなのです。

エリちゃん:
本当にそうですね。まだまだ、わたしには学ぶべきことがたくさんあります。

いさどん:
あなたは今まで自分に対して自信がありませんでしたね?

エリちゃん:
はい。

いさどん:
これからは、おごった自信ではなく、確信に基づく自信を持つということです。

エリちゃん:
それはよくわかります!

いさどん:
そうすると、誰かから導かれなくても、自らの中から道が湧き出るようになるのです。一人ひとりの中から湧き出てきたものがネットワークしていくと、最終的にわたしたち人類は地球という生命を構成するひとつの家を持った家族だと気付くのです。その次には、地球の家族は宇宙に向かって新しいビジョンを展開するようになるのです。宇宙は広大なサイクルの中をフリーエネルギーによって運営されているように、わたしたちの中にも無限なるエネルギーと共鳴するような働きがあるのです。

今日、わたしは言葉で語るのは難しいと感じながら語っています。わたしの話が少々ぎこちなくても、ようこちゃんはスムーズに英語で通訳していますね(みんな、笑)。そういう関係を誰とでも創りたいのです。

ようこ:
こういった話を初めて聞くエリちゃんにとってわかりやすいように、情報を少し追加して通訳しています。

いさどん:
そうなのです。わたしが伝えたいことを、わたしが話すより先にようこちゃんがその内容を感じて通訳しているのです。ですから、わたしは話している格好をすればいいだけなのです(みんな、大笑)!

そういった心の関係ができると、今、世界的に起きているたくさんの問題も自動的に解決されるのです。そういった世界では皆が自分のところに利益を確保しようと思わなくてもいいのです。それこそ、閉じた心の門を開いて、閃きによってネットワークすれば、皆が豊かに生きられるのです。そこでは、新たなテクノロジーや様々な叡智が新たな意味で皆のために活かされるようになるのです。

ただ、その世界は、天の意志が通った世界です。人間たちは地上を生きていますね。そうすると、道理の通った世界に生きることに慣れていないのです。地上に生きていて、対立や競争、差別することに慣れすぎてしまい、だから地上に天国は降りてこないのです。自然界にも天国が表現されないのです。それは、今の人間たちの間違いでもあり、同時にそういった時代のプロセスを刻んでいるということでもあるのです。そこでは誰一人、悪者はいないのです。

すでに、宇宙的には新たな時代の扉が開かれました。これから、地球上にそれが現れてくるのです。ですからわたしたちは今、時代が切り替わり新たな世界へ向かう旅立ちの時に生きているのです。その切り替えの完成までには、地球時間で言うと100年ぐらいかかるでしょう。しかし、宇宙的に言えば、100年なんてほんの一瞬なのです。地球の誕生から現在までを一年にたとえると、その切り替え時は一秒にもならないのです。

(そこでようこは、250年前の産業革命は現在からほんの2秒前に起きていたことも付け加えて通訳する。)

chikyunorekishi

いさどん:
わたしが今、話さなかったことをようこちゃんは通訳していましたね(笑)。

エリちゃん:
それは完璧だわ!わたしが日本に来てから、ある意味変なことが起きているのです。

いさどん:
変な状態にならないと、現代社会のマインドコントロールは解けませんからね。

ようこ:
それは良いことなんですよ♪

いさどん:
木の花ファミリーは変な人の集団ですからね。

エリちゃん:
ハハハッ。それは良かったわ(笑)!日本に来て、特に木の花に来てから起きていることなのですが、寝ているときにたくさんの夢を観て、たくさんの人生を経験しているように感じています。そして、それはとても明快なのです。昨日の大人会議でいさどんが話していたように、エゴから解放されれば、より高い意識や無限の意識とどんどんつながっていきますね。

いさどん:
それ以上あなたが話さなくても、こちらには十分伝わっていますよ(微笑)。わたしたちは自分自身に囚われていたら、小さな自分自身であり、自分自身とも矛盾を発生させることになるのです。しかし、解放すればこの世界全体が自分自身にもなるのです。ただそこで、あまりにも解放されすぎると自分であるという意味がなくなるので、とりあえずまた自分に返ってくることもでき、自らの役割を果たすようなこともできる世界なのです。

エリちゃん:
そのとおりですね!

いさどん:
現代の多くの人々は個人として自らが成立していると思っているのですが、その個人はもうひとつ大きなスケールの中でポジションをもらっているのです。そして、わたしたちが自らを認識するこの形まで戻ってきたときに、自らの狭い枠に囚われているのか、それとも全体と自らの位置関係を認識し広い世界観のもとに存在しているのかということなのです。わたしたち自身も、無限に小さなパーツの集合によってできているものでもあるのです。これは相似形という仕組みです。そういったこともすべて、カタカムナは紐解いてくれているのです。13000年前の人々がそれをわかって生きていたのですよ。そして、宇宙時間からすれば、13000年というのは一瞬のことなのです!

わたしは銀河が誕生したときにその場に立ち会った記憶もあれば、地球が創造されるときにどういうビジョンで創るのか、仲間たちと話し合っていた記憶もあるのです。それは過去のことだけではなく、いずれ地球に賞味期限が来たときに、地球から離れて次のステージに行く未来に対してのビジョンもあるのです。

ですから、大きなスケールで今を観たら、確かに今目の前に起きていることは注目すべきことではあるのですが、悩むことではないのです。人類が今、そこに目覚める段階に来ているのです。そういったことを伝えることが、わたしがここにいる役割なのです。わたし個人の望みは地上的には何もありません。みなさんにそういったことを伝え、地球上に人類の目覚めのネットワークができたら、わたしは次のビジョンに行くだけなのです。その役割をあなたにもしてもらいたいと思っています。OK?

エリちゃん:
OK!!

いさどん:
では、また真学校で会いましょう。

エリちゃん:
Thank you!!
――

さあ、これから1ヶ月間の真学校を通してエリちゃんはどのように変化していくのでしょうか。時代の流れやこの世界の意志を感じているエリちゃんは、そうした大いなる意志とともにこの1ヶ月間を過ごしていくことでしょう。

受講生仲間と一緒にアメリカ式のパイを作るエリちゃん。“ Sooooo delicious!! ”
1ヶ月間の真学校はまだ始まったばかり!