4日目午前「カタカムナ1」 ~ 認識できない世界をひも解く

6時間では到底理解できない奥深い世界、カタカムナ。以下、講座の内容をご紹介します。あくまでもダイジェストであることをどうぞご了承ください。(カタカムナを学ぶにあたっての心がまえについては、本講座の冒頭に語られたお話をご覧ください。)

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いさどん:
ここに、カタカムナに80首あるウタヒの中の第5首、第6首の解説があります。表の物理性の解説と同時に、裏の性についての解説が載っています。
かつてここでカタカムナ勉強会の講師をやっていた人は全国各地で勉強会を開催していたのですが、カタカムナの勉強会を始めた頃、カタカムナの真実はこの裏の部分に秘められている、ということで、勉強会でその奥義を説き始めたら、まず女性が来なくなったそうです。そしてそのうちに人が減っていきました。女性が先に来なくなったということは、女性がいかに性に対してネガティブなイメージを持っているかということを表しています。それをひも解いていくと、男性がいかに雑なセックスをしているかということです。そして女性は受け身ですから、その間違った性が浸透していったのです。
その講師の人は、それ以来勉強会でも性について触れなくなりました。しかし僕は、そこに踏み込んでこそ、カタカムナの神髄だと思っています。もっとも、そうすると人が来なくなるのかもしれませんが。

人は自分の色をつけてものごとを見ています。性に対する認識がこれだけ歪んでいるのは、それだけ世の中が汚れているということです。そう言うと、自分のことは置いておいて「そうだ、世の中が汚れているから私は大変なんだ」と被害者になる人がいるのですが、あなた自身が汚れているのですよ。だからまず、あなたがきれいになることです。

それでは、スライドを見ていきましょう。

01

「カタカムナの世界観を現代に生かす」というのは、とても深いことです。

現代の人々は大脳思考です。そしてヨコシマ(邪)と言って、その思考は邪ですから、損得勘定の二元的思考をしています。しかし人間は地上を生きる生命として、本来は縦思考で、直観に従い、生きるべき生き物なのです。それは自らの都合で思考を回すのではなく、生きる上で必要な生命観は自ずと湧き出してくるものです。
縦というのは、天に通ずる、この世界の仕組みの柱となるものです。それを「トキ軸」と言います。それに対して、そのトキ軸に沿って回転し、この世界に現象を生み出すはたらきを「トコロ軸」と言います。

人間は、DNAの中に宇宙の始まりから今までの成り立ちを、情報としてすべて持っています。しかし現代の人々は、脳の10%程度しか使っていないため、そういった内に秘められた情報を活用することはほとんどありません。では残りの脳のはたらきは何なのかというと、宇宙を生きるためのアンテナとしての情報です。天から降りてくる様々な情報をキャッチしたり、自らの中から湧き出してくるものをつかむのです。
今、25800年ぶりの銀河の冬至を越えて、これまでのヨコシマな損得勘定から、縦思考と横思考のバランスを取る時代に入りました。一般のカタカムナの勉強会ではこのような話は出ません。これは、地球暦やこれまでの人類の歩みをここで独自にひも解いていく中で、観えてきたことです。

「因果応報」というのは、今ここにあなたが存在していることの仕組みです。何かが発生したり存在するということは、必ずそこに至る原因があります。そしてその結果がまた次の原因となって新たな現象を引き起こし、延々とつながっていくのです。そして振り返った時に、その軌跡があなたの人生です。
原因に対して相応しい結果が現れる。それが因果応報です。原因、結果、原因、結果という連鎖を延々とくり返し、それをすべてつなげて観ると、そのひとつらなりの流れの奥に物語が観えてきます。そして、誰もが一人ひとり独自の物語を持っています。宇宙にも、誕生からずっと続いている物語があります。宇宙は誕生、維持、破壊、空、そしてまた誕生というサイクルをくり返していますから、その物語には終わりがないとも言えるでしょう。その物語が観えた時、因果応報の奥にある天の意志が観えてきます。
それを観るためには、自らに囚われているようでは観ることはできません。自らの視点からちょっと離れて、いったい自分はどういう歩みをしているのだろうかと客観的に捉えることが必要です。自らのクセというのはなかなか見えないものですが、ちょっと離れてみることでそれが観えてくるのです。

「一度止まる」と書いて、「正」という字になります。今自分がどのような歩みをしているのかを、いったん止まって、離れて観る。それが客観視点です。

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私たちは現象世界にいて、その奥にはすべての源である潜象界があります。そこまでの構造を理解すると、客観背後と言って、すべての現象の背後にあるこの世界の意志が観えてくるのです。それは意志を持っていますが、持っていないとも言えます。それは何も私たちに意志表示をしない、この世界が成立するための存在です。それを神と呼ぼうが法則と呼ぼうが物理性の元と呼ぼうが、何でもいいのですが、それが観えてくるのです。

02

人生は不可思議です。主観が強い人は、他の人も自分と同じように考えて生きていると思っています。では主観に囚われずに生きている人がどれだけいるかというと、ほとんどいません。誰もがオリジナルです。それを、さも普通であるかのような顔をしてごまかしていますが、「人格を学ぶ講座」ではその一人ひとりの独自性をひも解いていきます。

人間というのは、嘘つきです。僕はたくさんの人の人生相談を受けてきましたが、まずみんな、口から出てくる言葉と奥に持っている心が違います。ですから僕は、その奥の心を観ます。相手の言葉をそのまま受け取ったりはしません。それが客観です。
その時に僕を上手にだましたとしても、それは正確なアドバイスがもらえないということですから、その分損をしていることになります。一番は、とにかく正直になることです。「こんな恥ずかしい事は言えない」と思っても、僕は今まで1万件以上の相談を受けてきて恥ずかしい話なんて山ほど聞いていますから、全然珍しくないのです。
人間は嘘つきです。ペットは人間に近いから嘘をつくかもしれませんが、自然のものは絶対に嘘をつきません。人間が嘘をつくのは、それだけ高度の生き物だということでもあります。だから曲がりくねったでこぼこの道を歩んでいくのです。先日北朝鮮の金正男氏が暗殺されたというニュースがありましたが、報道されていることはどこまでが真実でしょうか。世界は嘘でできています。そこから真実を観抜く力を持つ。それには、自分の心を磨かなければ観えません。

でこぼこ道の奥に、この世界を存在させている大いなる意志があります。こんなにひどい世界を創って、いったいその意志は何をしようとしているのでしょうか。僕は不満に思い、それを神様に問いかけたことがあります。するとこんな答えが返ってきました。

「この世界を私の実体とみて、不満を言うならば、
その意志を見分けられるおまえになれ。」

おまえが不満を持って疑っている限り、真実は観えないだろう。周りがどうであろうとも、正直でありなさい。常に正しくものを観ることを心掛けなさい ──── そう伝えられました。

03

自分がもやもやとした雲を創っていては、見えてくるものももやもやでしかありません。そしてもやもやの人ほど、それを絶対だと思っています。そして何か新しいものに出会うと「これが真実だ」と飛びつき、また別の何かに出会えば「これこそ真実だ」というように、ころころ変わっていくのです。
それが人生だとも言えます。ですから、もやもやの中にいてもいいのですよ。それがもやもやだとわかっていればいいのです。しかし、もやもやだとわかっていない人は、そのもやもやにごまかされていきます。

04

正確に言うと、循環する前に振動し、自転し、公転し、歳差運動をして、そして循環しています。その身近にある代表例が地球です。そしてそれと相似形をなしているのが、我々の体です。細胞です。原子です。素粒子です。
カタカムナでは、素粒子よりさらに小さな存在である宇宙最極小微粒子を「カ」と呼びます。素粒子は観測できますが、カは観測することはできません。それはこの世界のすべての現象が発生する前の素材です。ですから、「ない」のです。「ない」ところに「ある」微粒子 ――― それが「カ」です。

めぐちゃん:
それはダークマターのことですか?

いさどん:
「カ」は、アマハヤミと言って、光の速さの10の64乗倍の速さで宇宙空間を飛び回り、そしてある時、現象を創りたいという想いが宇宙に湧いたとしますね。そうすると、その縁を元に「カ」はヒフミヨイと数理の道順に従い、「密かに」「震え出して二つになり」「満つって」「横に広がり」というプロセスを踏んで、「位置」が決まり、そこに「マ」という空間ができ、「ワ」という球体になります。「ワ」(=球体)ができるとは、その中に空間ができるということですが、ここには実は何もないのです。

宇宙はすべて、その空間のへりにできます。我々の銀河もそこにあります。するとこの空間は、とてつもなく広い、何もない世界です。それをダークマターと名付けてもいいですが、それが何であるのかは解明できていません。ホワイトホールやブラックホールという捉え方もありますが、それもまだ不確かなものであり、今わかっているのはここまで、としておいた方がいいでしょう。

ブラックホールがすべてを吸い込むとしたら、その行き先はどこなのか。ホワイトホールから噴き出してくるとしたら、それはどこから噴き出すのか。それをどう認識するのかと言ったら、我々が認識できない世界があるということです。それが、現象界、即ち「ある世界」の源である、潜象界、即ち「ない世界」です。

「ない」のですから、私たちには認識できません。ところが、その「ない世界」を理解しないと、この「ある世界」のことを本当に理解することはできないのです。ダークマターというのは認識しているということですが、本来はそれをダークマターとも言えません。認識できない世界にあるということです。

05

世界には様々なことが起きています。戦争があり、災害があり、病気があり、貧困があり、経済の破たんもあれば、トランプさんが出てきて何をするかわからないという状況もあります。これは、悪いことでしょうか?それを体験して「痛い」と思えば、嫌だと思うかもしれません。しかし、それを体験するということは、この世界の表現の可能性を知るということです。

この世界はすべて、陰と陽の対向発生によって成り立っています。そうすると、この世界を理解するためには、陰と陽の関係から離れて全体を観る必要があるのです。もしくは、こちら側にいるものは、向こう側に行き、こちら側を見ることによって初めて自らを知ることになるのです。
現代物理学は、現象世界を解析してきました。しかしどんなにこの現象世界だけを解析したとしても、現象世界が陰陽のどちらか一方であるとするならば、必ずそれを成立させるもう一方の存在があるはずであり、そこを理解した目でこちらの世界を観ることにより、初めてこの世界の構造がわかるのです。
人類が物理的にこの世界を理解するためには、今いる現象世界と対であるもう一方の世界へ行ってこちら側を見るか、もっと確かな情報を得るには、両方の世界を離れて全体を観ることです。ではそうするためには何に乗っていけばいいのでしょうか。今確認できている宇宙のスケールは数百億光年とも言われていますから、光の速さの乗り物に乗ったとしても宇宙から離れるには数百億年かかるということです。そんなことは物理的に不可能でしょう?ですから、現代物理学でこの世界をひも解くには限界があるのです。

そこで僕は、カタカムナが現代に復活したのだと思いました。その昔、カタカムナ人は、この「ある世界(現象界)」の奥に、それを成立させている「ない世界(潜象界)」があるということを、13000年前に理解していました。そして「ない世界」の働きが「ある世界」を表しているということを知っていました。この捉え方が現代物理学に反映されれば、物理はさらに発展することでしょう。そこから先は、人間の思考が大脳思考ではなく松果体思考、つまり直観思考になると、動き出します。
ところが今の多くの科学者はそういったことを認めませんから、そのままでは行き詰りますね。特に西洋科学を絶対視する人たちはそうです。脳の構造を変えなければこの先はありません。物理学とは何の関係もないこのような場所でそんなことが語られているのも、面白いですね。
物理学を始めとする近代科学は現代社会の発展に寄与しましたが、では人間の日常生活にどれだけの豊かさをもたらしたのかというと、今ではむしろ害をもたらしています。これは近代科学を否定しているのではなく、一方に偏ったものに、もう一方にあるものを合わせていくと、次の世界のステージが観えてくるということです。この世界を運営している存在は、一体全体何のためにこの世界を創ったのか、そしてそれを受けて人間はどうしたらよいのかということが、今ようやく語られ始めたということです。

06

これは月の満ち欠けです。それが地球の海の満ち引きをつくり、生命が発生しました。生命の起源は光だと言いますが、光だけでは駄目なのです。つまり、光(陽)に対して闇の働き(陰)が必要です。ちょうど良い距離に太陽があり、ちょうど良い距離に月が生まれ、双方の働きが陰陽となって地球に生命が誕生しました。

陰は女性性を現します。女性の生理は生きることの基本であり、それは月と連動しています。男性の生理は精子の生産ですが、これは毎日行われています。それは太陽のリズムです。肉体的には男性が陽であり、女性が陰です。それを善悪や損得のような二元論で捉えると、男は陽だから表にいて、女は陰だから陰にいて従う存在だというような封建的な捉え方にもなります。近年、世界中がそうでしたね。
しかし、それは違うのですよ。本当は、この「ある世界」と「ない世界」の関係も、すべては陰が元になっているのです。生命もすべて女性から始まっています。ですから、「霊主体従」という言葉が表すように、陰が主であり、陽が従なのです。
長い間、権力やお金、物理的な優秀さなど、そういった陽的なものが主となり、心を従とする時代が続いてきました。今、時代はその切り替え時を迎えています。文明的にも、これまで世界をリードしてきた、物事を細分化して科学的に捉える西洋型文明から、世界を統合的に捉えその奥を観る東洋型文明に切り替わる時が来ています。例えば病気になれば、西洋文明ではその症状を物理的に治すことに専念しますが、東洋文明ではその病気の要因となる奥の気や心を観るのです。

あるものが現れて栄えていくと、それは月の満ち欠けと同じように必ず頂点を迎え、やがて欠けていきます。その時に、それと対向発生し、潜んで奥で支えていたもう一方の存在が、入れ替わりに現れてくるのです。

それでは、カタカムナの世界を具体的に観てきましょう。

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いさどん:
この図は、この世界の仕組みを二元に落とし込んで表現したものです。とてもわかりやすいですが、実際はこの世界は二元ではありません。

みかこ:
この図では左側が潜象界で右側が現象界というように分かれていますが、実際はこんな風に単純に区切られているわけではなく、潜象界はこの世界に重なってあるものです。

いさどん:
僕はある時、この現象世界の空間にふっと切れ目が入って、そこからふわーっと何かが出てくるのを感じました。何とは言えませんが、何かが来る。そして、それが「カ」なのだと思いました。これが供給されることによってこの世界が創られ続けているのだということを感じたのです。
なぜそれが観えるようになったのかというと、この世界の物理性を理解してきたからです。「カ」は宇宙最小の微粒子であり、すべての現象の元となるものです。そういった仕組みを人間は、宇宙の発生、維持、破壊、消滅までの仕組みを理解すると、意識的にその原動力である「カ」を潜象界から引き出すことができるようになります。人工によって汚染されていない純粋なエネルギーを引き出すことで、この世界に「イヤシロチ」(汚れのない生命力にあふれた場)を創り出し、美しくしていくことができる。そこまでの域に人間は達することができるのだと気付いたのです。
逆に、この仕組みを理解していないと人工の世界の中だけでぐるぐると意識を回し、人工的な歪みを増幅させてどんどんこの世界を汚していく(ケガレチ)ことになります。潜象界はこの世界のあらゆるところに重なって存在していますから、人間がその意識になれば、どこからでも「カ」は供給されるのです。例えば畑に行って「人間の欲で汚れているな」と感じたら、欲のない美しい心で作物に語りかけます。するとその空間から新しい純粋なエネルギーが作物や土に供給されて、美しく濁りのない作物が育つのです。

この図を見てください。私たちが通常認識している世界は、現象界=カタの世界です。「カ」は宇宙最極小微粒子であり、それが「タ」即ち分離独立したものが「カタ」であり、それが持続する(=チ)と「カタチ」となります。カタの世界は「見える世界」です。
その奥に、「見えない世界」があります。例えば心は見えませんね。見えませんが、カタチである顔の表情を見ていると、その奥にある心が観えてくるでしょう。ところが人間はそれを隠しますね。カタチで隠すのです。その隠れて見えないものが、この図にある「思い」「幽」「心」「言霊」といったものです。この見えないものが見えるものと重なり合って、人間が形成されます。人間だけでなく、あらゆるものがその仕組みで成り立っています。そしてすべての存在は、固有のサイクルを持っており、人間なら80年、ネズミなら数ヵ月、星なら数百億年というように、それぞれのサイクルがあって生命が維持されています。それがカタの世界です。宗教で言う霊とは、一般的にこのカタの世界の中の「見えない世界」の存在を言います。そして「見える世界」と「見えない世界」を、因果がぐるぐると回っているのです。

この現象界に対し、対向発生をしている潜象界の存在をひも解いているのがカタカムナ宇宙物理学です。その潜象界には何があるのかというと、すべての音のふるさとの響きです。響きはすべての源です。宇宙空間も実は響きなのです。
潜象界では、48の音は単独で存在しています。それが現象界へやってくると、縁が発生して他の音とつながり、意味を成すようになります。潜象界では「ア」と「イ」というように単独で存在していたものが、現象界へやってくると、それが縁により結ばれ「アイ」になるのです。
潜象界は、濁りや歪みのない世界です。それは極めて美しい状態です。ですからそれを理解するためには自らを無垢の状態にしなければなりません。先入観があっては、それをわかることはできないのです。

潜象界から現象界へ生まれ出てくると、様々な形状を持つようになります。それが自然の命の多様性です。そしてそこには「差」があります。形状の差、役割の差。そしてそれがネットワークしていくのです。
潜象界には差はありません。ネットワークもありません。それが現象界へやってくると歪みが発生して差が生まれ、ネットワークする。それが命の世界です。その歪みとは美しい歪みであり、そこでは一つひとつの差は個性なのです。
ところがそこから人工の世界へ進むと、カルマや人間の思惑による人工の歪みが発生します。それによって今、自然が汚染されているのです。それに対して、人々がどう解決しようとしているのかと言うと「自然保護」だと言うのですが、それは違います。人間の心が汚れているから、自然も汚染されているのです。

それを美しくするには、現象界の奥にある潜象界までを含めたこの世界の構造を理解し、人間が自主的に自分自身を美しくすることです。そうすると、人工で汚染されたものは潜象界へと還り、そこからまた新しい新鮮なエネルギーが供給されるという循環が生まれ、自然は自ずと美しくなっていきます。
「自然保護」というのは傲慢な言葉です。自分たちが汚染の根源であるのに、自然を「保護」しようと言うのですから。そんなことを言う前に、自らの心を改めることです。

まずは、あなたから。あなたがきれいになると、それが世界に広がって、必ず世界は美しくなるでしょう。

 

 


4日目午前「カタカムナ1」導入 ~ もっとも“わからない”講座

第4日目は、この世界をひも解く神髄とも言えるカタカムナの講座です。まずは冒頭のいさどんのお話から ──── 。

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いさどん:
今日は、カタカムナの世界観を学びます。ただし、これはカタカムナ宇宙観の入り口です。

13000年前の宇宙物理文明

カタカムナの世界は、とても深いものです。真学校では2コマ6時間をカタカムナに充てていますが、それだけでマスターすることはできません。6時間で学べることはほんの概要であり、深い世界を粗く見て「ああ、そういう感じなのか」ということをつかむためのものです。
真学校の初日に、皆さんにわからないことを伝えていきます、とお話ししました。それをわからないからと言って切り捨ててしまうと、新たな世界観を認識することはできません。このカタカムナの講座が、まさしくそれです。なるべく皆さんが理解できるようには進めていきますが、それで皆さんが本当にその神髄をつかめるかどうかはわかりません。

実は、今カタカムナの世界観をマスターしている人はこの世界にいないだろうと思います。
カタカムナは、およそ13000年前に東アジアに栄えていた宇宙物理文明であり、とても深い世界観を持っていましたが、やがて時代が進んで物質的文明が台頭してくるに従って衰退し、長い間封印されていました。そして1949年、楢崎皐月という明治生まれの物理学者が、兵庫県の六甲山系の金鳥山というところにあるカタカムナ神 ──── 正式には保久良神社というそうですが ──── そこで平十字という老人と出会い、神社の御神体として伝えられているという記号のようなもので書かれた巻物を見せられ、それをひも解き始めたことから、再び世に現れ出したのです。それは第二次世界大戦が終わってから4年後のことです。
楢崎皐月という方はとても優秀で集中力のある方だったのでしょう。それから5年間をかけて、巻物に書かれていた文字を解析し、48音の意味をひも解いていきました。この文字が、カタカムナの「八鏡文字」です。そして、カタカムナをひも解けばひも解くほど、彼一人の力ではそれを解析できないということがわかってきました。そして後に、宇野多美恵さんという女性と、その妹に出会います。そして3人で力を合わせてカタカムナ文献をひも解いていったのです。

これが八鏡文字です。

カタカムナ第5首・第6首
カタカムナ第5首・第6首

この文字が、カタカナの元になっていると言われています。
「マワリテメクル」というのは、地球の自転と公転のような物理性を表しています。そしてもうひとつ、この世界は「対向発生」と言って、陰と陽のように相反する二つのものが同時に存在することによって成り立っていることも表しています。
カタカムナには、この48音を組み合わせた80首の「ウタヒ」があり、一説によると120種以上あるとも言われています。それはこの世界の命の仕組みを表したものです。48音の一つひとつにそれぞれの意味があり、それをつなげることによって命の仕組みである物理性を表しているのですが、それをひも解いていくのはとても難解なことです。最初に発見された文献には、この図のようにフリガナが打ってあったわけではありません。それをひも解いたのですから、楢崎さんという方は素晴らしい頭脳と創造力の持ち主だったのでしょう。
80首のウタヒをひも解いていくと、「表」のカタカムナの解説があり、表を陽とするならばそれと対になる陰、即ち「裏」の解説があります。表は宇宙の物理性を説いています。裏は、性についての解説です。男女が交わることの意味や、それによって何が得られるのかということが示されています。

最も小さなコミュニティ、男女の出会い

人は生きていく上で、群れて社会を創ります。その時にできる最も小さな単位のコミュニティとは、男女の出会いです。それが対向発生です。1+1は通常2ですが、男女が出会えば子どもが生まれて3になります。それが家族というコミュニティの始まりです。家族というコミュニティが集まって一族ができ、そして村ができ、町ができ、社会ができていくわけですから、家族というコミュニティが健全であることが世の中の健全につながります。
昔から、多くの人が理想郷を築くことを目指してきました。しかしほとんどの場合、実際に理想のコミュニティを目指し、立ち上げても、長続きはしませんでした。歴史の中でユートピア運動というのは世界中にあり、日本でも多くのコミュニティが立ち上げられてきましたが、今も存在しているところがどれだけあるでしょうか。密度高く安定している場としては、木の花は代表的な事例です。
多くのコミュニティが長く続かない原因は、お金と性の問題です。これをクリアすると、コミュニティは安定します。性の話というのは多くの人にとって秘め事であり、みんな表に出そうとはしません。しかし、「性」とは「聖」と同じなのですよ。

「セイ」をカタカムナの単音でひも解くと、「セ」とは「せまい」とか「エネルギーが集中している」ことを表します。「イ」とは「位置」であり、「ヒフミヨイ」の「イ」ですから、これから現象化する用意が整ったことを表しています。つまり、「セイ」とは狭い位置に密度が集中しているということですから、「性」であれば女性器に男性器が結合していることを表しています。「聖」ならば道を究めていって高く狭い位置に到達し、そこで安定している状態を表しています。下の方の世界では価値観が様々にあってバラバラの状態ですが、そこから極めていって確固たる高次の精神の位置に到達したということです。「清」も「セイ」と読みますね。いろいろと汚れている世の中で、余分なものをそぎ落とし、美しく清らかな状態になったということです。

カタカムナの80首とも120首とも云われるウタヒをひも解いていくと、その7割から8割は、性についての本義が示されています。表は宇宙の物理性の解説ですが、裏には、性から紐解かれる命の解説が明快に示されています。聖なる男女が交わることによってどのような境地に至るかということが綴られているのです。
それは、現代のアダルト産業が描くような性の世界とは、まったく違った世界です。しかし現代の多くの人々は、そのような聖なる描写に出会っても誤解をします。なぜ誤解するのかというと、その人自身が、性に対して誤解をするようなレベルの認識しか持っていないからです。

「怪しい」は自分の中にある

僕がいかに真剣に、熱意を持って、その人のために、世の中のために真実を語ったとしても、人はどこかに自分の常識というものを持っており、そこから外れたことを聞くと「それは怪しい」と判断します。では何が怪しいのかというと、その人自身の中に怪しいものの基準があるのです。

本来、性とは聖なるものであり、神聖なものですよ、その聖なる精神性に則って交わることは、それにふさわしい神聖な魂を天から降ろし、優れた精神の人が世に現れ、世の中を良くしていくのですよ、と語ると、「その通りだ」と思う人もいれば、自らの性に対するイメージを重ねて「あんなことを言うなんて怪しい」と思う人もいます。現代の一般的な性の認識しか持っていない人は、性と聞くとすべて自分の中のイメージにつなげて、それは欲情をそそるものでよこしまなものだと決めつけます。女性の場合、性の出会いが不幸で嫌悪感を持っている人も少なくありません。みんな自分の中のイメージで「性とはこういうものだ」と決めつけているのです。

僕の話を聞いて「怪しい」と言う人は、実際にそのものを認識しているわけではありません。それ自体を客観的に捉えるのではなく、自分の中にある認識をそこに投影して見て、想像しているのです。
人間は恐ろしいことに、ものごとの真実を確認せずに、自らの中にあるイメージを重ねて事実とは違う幻想を創り上げ、それを独り歩きさせていきます。それは間違いを独り歩きさせているようなものです。その結果、真実と間違いのギャップが生じ、そのギャップを生きることになります。それは人生に間違いの種を播き続けることになりますから、必ず未来に間違いの芽が出ます。
その時に、本人には自分が間違いの種を播いてきたのだという認識がありません。ですから間違いの芽を見て、いったい誰がこれを播いたのだろう、なぜ私がこんなものに出会わなければいけないのだろう、と思うのです。すべて人のせいになるのです。そうすると、その人の人生にはさらに間違いが起きるようになります。

理解を超えるものを受け取る

昨日、「世界観を広げよう」という講座をやりました。その中に、心を磨くことの大切さが出てきます。なぜ世界観を広げることが必要なのかというと、視野が狭いと自分がどこにいるのかが観えないからです。広い視野の中で様々な認識に触れると、その中で自らがどのような位置にいるのかがわかり、自分の思考がどのようなものであるのかを客観的に捉えることができます。
ところが、狭い枠の中で自分の見える範囲のものだけを見て生きていると、それが世界の全てだと思うようになります。中には、自分の今の状態は他者や世の中のせいだと言って被害妄想になっている人もいます。そのように自らの視点だけで生きていては、世の中に間違いの認識を広めていくようなものです。だから世界観を広げることが必要なのです。

その時に、自分の理解できることだけを受け取っているようでは、世界観は広がりません。多くの人は狭い枠の中にいて、自分の理解できないことは間違いだとしています。しかし、カタカムナを生きるということは、今の世の中の人々が認識していない、新たな道を歩み出すということなのです。
僕は昔、この道に出会った時に、最初は自分が精神分裂病になったのかと思いました。自分の中に言葉が降りてくるのです。そういうことが、人間にはある。どうやら自分は、そういう人になってしまったようだ。そう思いました。

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しかしこれは実際に怪しい話です。一歩間違えば魑魅魍魎(ちみもうりょう)の不確かな世界にも通じるからです。よくテレビにも霊能力者と言われるような人々が出てきますが、そういった世界にも通じるもので、人々を惑わせることにもなる危険なものなのです。ですから僕自身も、そのような状態の自らを疑いながら歩んできました。しかし、疑いながらも、そうなってしまったものはなってしまったのですから、仕方がありません。「これはどういうことなのだろう」と歩みを止めることなくそれに付き合ってきました。そうして、ここまで歩んできたのです。

真実はひとつ

自分が出会ったものは何なのかということを突き詰めていくと、その人の精神構造のレベルの位置に到達します。皆さんも、いろんな本などを通してスピリチュアルな世界に出会っていると思いますが、それを教科書のように崇めていては、それを発信している人の精神レベルを超えることはできません。何かを経典とした時点で、その先の道は閉ざされるのです。

しかし、この世界は広大なものであり、情報は無限にあります。自分自身を空っぽにして、自身の中に定着したものだけが、得たものです。そして世界は無限ですから、探求は永遠に続きます。
これは、真学校を1ヶ月間どのように過ごすのかという姿勢の話です。あなたの中に新しい情報をどれだけ入れるのか。そしてそれをどれだけこなせるか。有害なものはひとつもありません。しかしそこで自分の中に入れるものを自分で選別するようでは、大事なものがすっぽりと抜けた骨抜きの情報の寄せ集めになるかもしれません。1ヶ月後にどれだけのものをあなたが得ているのかは、皆さん自身にかかっているのです。
そして、その得たものを元にそれから先の人生を生きていくことになります。それをくり返しながら人生が完成されていくのです。新たに得る情報というのは、自分が知らないものですね。ですから、わからないことでもまず取り入れてみることです。その全てをマスターすることはできなくても、まずは取り入れてみて、そして残るものを自分のものとしていけばいいのです。

その時に、これを取り入れたらいいことがあるのだと御利益を求めるようなことでは、何かのセミナーを受けて良い人生になりますようにと願うのと同じで、まやかしです。何を持って良い人生とするかは、人によって違います。今僕は、生きるということ、そしてその中で出来事に出会う時の基本の姿勢についてお話ししていますが、それは一人ひとりみんな違います。皆さんはこれまで、一人ひとり違う人生を歩んできました。これからも違うことでしょう。そこで最も気を付けなければいけないのは、自分は先入観を持っていて、その色眼鏡でものごとを見てはいないかということです。
もしもそうであるなら、あなたはあなたの色を付けてものごとを見ていることになり、真実を自分の中に取り込むことはできません。逆に言うと、その先入観で彩られた認識が、あなたにとっての真実になります。ですから、真実は人の数だけあることになります。しかし先入観を外してその情報に出会えるならば、今あなたが必要とする情報があなたにもっともふさわしい形であなたの内に残ることでしょう。そして内に残ったものこそが、誰にとっても共通するこの世界の真実なのです。

カタカムナを生きる

カタカムナの世界観を学ぶにあたり、まずは冒頭のお話をしました。これから3時間の講座が始まりますが、人によってはさっぱりわからない時間を過ごすことになります。最初は頭が痛くなることもあるでしょう。それでも付き合っていくと、何かが感じられるようになるかもしれません。それが大事なのです。
現代人は前頭葉で思考を回し、いわゆる大脳思考でものごとを解釈しますが、カタカムナ人は脳の中心にある松果体という部分を震わせて、この世界の真実を直観で受け取っていたと言われています。その時に、思考は回しません。会話も、今のように文章にするのではなく、単音に近い形でやり取りをしていました。そして群れて、直観のセンサーを働かせながら、生き残ってきたのです。ですから、生命観がとても強い。豊かに生きるにはどうしたらいいかなどと、大学の講義のように考えることはなかったのです。
これから八鏡文字について学んでいきますが、これは楢崎皐月さんが解析したもので、カタカムナ人は誰もこんな講義を受けて学んだりはしていませんでした。現代人はそれを教科書にして勉強会を開催したりしていますが、それでは結局、現代人の思考回路で知識的に学んでいるに過ぎません。

みかこ:
この文字の成立自体が、カタカムナ文明が栄えていた13000年前からずっと後の約8000年前だろうと言われています。後の世の人々が体系化したんですね。

いさどん:
木の花ファミリーでも、カタカムナに出会ってから2年間は毎月勉強会を開催していましたが、僕はある時、もうこれ以上は必要ないと思いました。間違いの方向に進み出したと思ったからです。カタカムナ人は勉強をするのではなく、毎日の生活の中でそれを表現していました。いくら知識としての勉強を重ねても、人間性を高め、その知識が人生に反映されることにはならないのです。
僕がその2年間で気付いたことは、「カタカムナを学ぶ」のではなく「カタカムナを生きる」ということでした。そしてカタカムナを探求すればするほど、私たちが今までコミュニティとして目指し表してきたここの生活が、カタカムナを表現しているのだと思いました。ですから私たちは勉強会を開催するのではなく、それを生きて、そして生活の中で表現することでもっとわかりやすく皆さんに伝えていくことができると思ったのです。カタカムナは宗教のように御利益を求めるものでも、学問のように知識として学ぶものでもなく、実際にそれを生きることで、自らの人間性に反映させていくものなのです。

それは理想論ですか?

いさどん:
人間は、まず自分自身の個性という認識の色がついています。そしてその色を通してものごとを解釈しています。そこでちょっと自分の外に出てみましょう。そして自分はどんな色を持っているのか、どんな心のクセを持っているのかを客観的に見てみましょう。そうでなければ、いつまでも自分の色やクセを通して世界を見ることになります。

としみちゃん:
聞いていて、胸に突き刺さります。さっき、男女が聖なる交わりをすることで素晴らしい子どもが生まれると言いましたよね。私は小さなころから性に対して嫌悪感があるんですけど・・・

いさどん:
今、「小さなころから」と言いましたけど、それはいつのことですか?小さな子どもの時から性的なことに関わってきたということですか?

としみちゃん:
小さいと言っても中学生くらいの時です。

いさどん:
それは正確に言わなければいけませんよ。「小さな」というと2、3歳の子どものようですが、中学生となれば、多くは自身の体験が元となってイメージを持つようになっています。中には何も体験していないのにネガティブなイメージを持つ人もいますが、それはもともと自らの中にネガティブな種があるということです。それがその人の色ですね。

としみちゃん:
その、聖なる行為で素晴らしい子どもが生まれてくるというのが、そうなったらいいなとは思うけれど、きれいごとというか、理想論に聞こえてしまうんですけど・・・

いさどん:
その「理想論に聞こえる」というのは、あなたの考えではないですか?そのあなたの考えで、「これは理想論なのだ」と断定しますか?あなたは今までも、そうやって自分の考えでものごとを断定しながら生きてきましたね。
「素晴らしい人」というのはどこから生まれてくるのでしょう。お釈迦様もキリストも、性の営みから生まれてきたのですよ。
人は自然を見て、美しいと言いますね。その自然も、性の営みによって生まれています。植物にも雄しべと雌しべがあり、それが交わることによって次の世代につながるのです。それはきれいごとでしょうか。

としみちゃん:
うーん・・・人はそういう考えでは行為をしていないんじゃないかなって思うんです。それは自分の考えですけど。

いさどん:
実際そうですよ。では、みんなに聞いてみましょう。交わることを神聖な行為として受け止めている人はいますか?
(2名が手を挙げる。)
では、実際に自分はそれを神聖なものとして行っている、という人はいますか?
(誰も手を上げない。)

「世界観を広げよう」の講座で、この世界は間違いから生まれているということを伝えましたね。そして、今の時代は混乱のピークにあることをお話ししました。その混乱の一番の原因は、性の間違いから来ています。性の間違いが正されると、この世界はすべてが美しくなります。
カタカムナは、表では宇宙物理を説いています。表は陽の世界です。しかしその元は、陽を支える陰の世界にあります。陰とは、霊です。見えない世界です。その見えない世界が先にあり、それが元となり、この世界が表現されているのです。「健全なる肉体に健全なる精神が宿る」と言いますが、真実は「健全なる精神に健全なる肉体が宿る」のです。
性の話も同じです。健全なるセックスに、健全なる子が宿ります。それでもあなたは疑いますか?

としみちゃん:
言葉ではわかるんですけど、心の中は「う~ん」という感じです。

正直に自分の想いを出すことで皆に学びを提供しているとしみちゃん
正直に自分の想いを出すことで皆に学びを提供しているとしみちゃん

いさどん:
あなたのその状態に付き合っていると時間はかかるし、面倒ですね。結局は、あなたがあなたの色をどうするかです。1ヶ月間どんなに勉強したとしても、自分の中の固定概念をとらない限り、あなたはいつまでも同じ位置にいることになります。そこを超えて、自らをフリーにして受け取ろうという姿勢になった時に、あなたは新たな世界を生きることになるのです。そこでいつまでも「う~ん」と疑っていると、相変わらず同じ人生を生きることになります。その決断をどうするのかは僕の範疇ではありません。それはあなたの意志の範疇であり、皆さん一人ひとりの意志の範疇です。

地球は円ではなく、球

いさどん:
自分の中に「これが絶対だ」というものを持っている人は進歩しません。宇宙は常に瞬間瞬間変化変容をくり返しながら、常に先へ先へと、未知なる未来へ進み続けているのですよ。

みかこ:
カタカムナはこの世界の成り立ちを表すもので、それはとてつもなく広いものです。例えば地球をいろんな側面から立体的に見たら球だけど、一カ所だけから見たら円に見えるよね。その時に、いくら地球は球なんですよと説明をしても、「私からは円にしか見えないからそれはおかしい」というようでは、そこで話は終わってしまう。そこで地球が円にしか見えないのは、自分の立ち位置が固定されていて、そこからしか見ていないからなんだよ。

いさどん:
地球は球ですが、それを紙という二次元の上で表せば円になります。現代の私たちの思考は、二元的発想に囚われています。八鏡文字は宇宙の成り立ちを二元で表していますが、これは実際は、球なんです。

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このボールは、ここで作ったものです。これは宇宙の成り立ちの仕組みを立体で表していますが、これを二元で表現すると八鏡文字のような図になります。それが間違いの始まりです。立体のものを二元に置き換えて、伝わるわけがないのです。
もっとも、このボールも単なる球体の模型です。最終的には、「この世界はこうなっているんだ」ということを自分自身の中で描ける人にならなければ、いくら僕が語ったところで「でも私から見ると円だ」と言い続けることになるのです。
それでは進化しません。宇宙を生きるとは、常に無の状態で新たな認識へと自らをいざなっていくことです。少しでもカタカムナが理解できると、それを糸口として、だんだんその意味がわかってきます。

めぐちゃん:
昨日、カタカムナの講座を受けるにあたり、自分自身の認識について考えていました。さっき、現代人は大脳思考という話がありましたけど、大脳思考の人間が発している言葉というのは音の一音一音が粒子的で、いろんな種類の粒子の組み合わせでひとつの意味を持っている。でもこの宇宙の物質には粒子性と波動性の両方があり、カタカムナ的解釈のできる人々は、粒子性と同時に波動性を認識する能力を持っている。この世界にはいろんな波動の発生源があって、その波が互いに相互作用して波模様として表現されているけれど、そういった波動的なものが現代人にはなかなか認識できないんじゃないかと思うんです。でも木の花ファミリーでは各メンバーの人たちがそれぞれ個性的な波動の発生源になっていて、そこから発される波模様が干渉しあって調和的な波紋をつくり、発生源の位置や強さによって波模様が常に変化している。昔、直観を主体として生きていたカタカムナの人々は、そういった感覚を持っていたのかな、と思いました。

元光学エンジニアならではの見地から解析をするめぐちゃん
物理畑出身ならではの見地から解析をするめぐちゃん

いさどん:
そうです。今めぐちゃんが話したことというのは、日常話される会話からするとちんぷんかんぷんでしょう?通常、今のような会話は生活の中ではあまり語られない話です。彼女は物理学を勉強してきたから、その切り口から話をしていました。それが人それぞれのこの世界を測る尺度なんです。
僕はカタカムナを学んできたから彼女の言うことはわかりますが、物理学を学ばずにカタカムナに出会った人は、そのような切り口から解釈することはできません。同時に、物理学の切り口からカタカムナを見るとある段階までは理解できますが、その切り口からだけでは限界があるのです。ですからそこに囚われると、その解釈では行き詰まることとなります。
めぐちゃんは物理学の切り口から世界の成り立ちを解析し、成り立ちの関係性を解析し、それが人と人との関係の中にもあるのだということを語りましたね。

めぐちゃん:
私も大脳的思考じゃなく、松果体的思考の大切さを感じています。

いさどん:
だからあなたはここに出会い、共鳴したのでしょう。生きるとはそういったことの連続です。僕は初めてカタカムナに出会った時に、これは今まで我々が生きてきた生き方を物理的に立証するものだということを直観で感じました。
直観の大切さを、我々はカタカムナから学んだわけではありません。もともとここにあった生き方の中でそのことを理解してきて、そしてカタカムナに出会い、同じことを言っているね、となっただけなのです。それは何かを学んで解釈したものをやってきた結果ではなく、まったく無色の状態で未知の道を歩んできた結果出会い、今の状態に至ったのです。そういった人の解釈を超えたところでの出会いは、とても大事なものです。
これを切り口として新たな時代の可能性は広がっていきますから、これが絶対だというわけではありません。今はまだ2000年代が始まったばかりで、3000年に向かってこれから1000年をかけてこの流れが仕上がっていくのですから、今はまだ始まったばかりです。

さて、それでは休憩に入りましょう。その前に何か質問はありますか?あっこちゃんはどう?

あっこちゃん:
まだよくわからないです。

いさどん:
大丈夫だよ。ずっとわからないから。(みんな:笑)。

あっこちゃん:
具体的にはならないんですか?

いさどん:
具体的になりますよ。ただ、なるまで我慢できるかどうかです(笑)。

あっこちゃん:
じゃあ我慢します。(みんな:笑)

我慢して聞き続けてみよう
我慢して聞き続けてみよう

いさどん:
今日の6時間で理解できるかどうかは、皆さん次第です。これまで積み重ねてきた心のクセが多ければ多いほど、難しいかもしれません。

 

 


4日目午後「続・世界観を広げよう」~21世紀をどう生きる?

前回、大人ミーティングの時間を使っても終えることのできなかった『世界観を広げよう』。スケジュールを変更し、本日午後、続きの時間を持ちました。第1部から第3部までは、この世界の仕組みとこれまでの人類の歩み、そしてその結果現代社会にどのような問題が起きているのかを見ていきました。そして、大切なのはここから!第4部では、それを受けて、私たちは現代をどう生きていくのかということについて深めます。(前回までの内容はこちら♪)

以下、講座のスライドをご覧ください。

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2日目午後「世界観を広げよう」~固くなったものをやわらかく

午前中の『木の花ファミリー総合プレゼンテーション』に続いて、午後の講座は『世界観を広げよう』。
「わからないことを提供していきます」という初日の挨拶の通り、固定概念の枠を超える情報の洪水に「頭が噴火しそう」と受講生のとしみちゃん。

休憩時間に倒れこむけーごくん
休憩時間に倒れこむけーごくん

それでもけーごくん曰く、「今まで何度かここで世界観のプレゼンを聞いてきたけど、今日が一番深く理解できた」。
それぞれに「何か」を探し求めてやってきた受講生たちの間から次々と質問が飛び出し、講座はとても活気のある場になっています。「脱線の中に真実あり」。そう、質問によって新たなものが引き出され、どんどん脱線して話の幅がぐんと広がることで、思いがけず宇宙の真理に出会ったりするのです。

子どもの時に星空のあまりの美しさに魅せられ、ずっと宇宙のことをもっと知りたいと思ってきためぐちゃん
子どもの時に星空のあまりの美しさに魅せられ、宇宙物理学の道へ進みながら自分が本当に知りたいことは何なのかを探し求めてきためぐちゃん
みんな熱心にメモをとっています
熱心にメモをとり続けます

講座の冒頭、いさどんはこう語りました。
「今、地球は狭くなりました。19世紀までは地球を1周するのは大変なことでしたが、今は無給油で地球を1周する乗り物もできました。それだけ世界を認識できるようになったということですが、逆に、人間の個々の価値観は狭くなりました。そこで広い意識を持ち、世界観を広げることによって、固くなったものをやわらかくしていきます。」

やわらかいいさどん
やわらかいいさどん

それでは、頭の中を白紙にしてお付き合いください。

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いさどんは語ります。
「時代は、生きものです。その中で私たちは、『時の旅人』です。これはどんなに拒否しても、乗車拒否することはできません。死ぬとできるだろうかというと、死んでもできません。我々が存在している限り、この『時』という乗り物に乗っているということです。
私たちは肉体という器を持ち、そこに縁ある魂が乗って、人生という旅をしています。そこで同時に、時という乗り物にも乗っています。一定の時間を過ごし、寿命が来ればみんな死にますね。私たちが死んだ後も、時代は動き続けています。ですからもしも生まれ変わるとしたら、それだけ時代が進んだ先に生まれるのです。そのように人間は、生まれては死ぬことをくり返しています。これを輪廻と言います。人間が生きている時も、死んでいる時も、時は同じように進んでいます。」

「私たちが生きている時、肉体は変化します。それは手に触れ、つかむこともできます。しかし魂は、つかむことはできません。魂は死ぬこともありません。たとえば、(受講生の)よしこちゃんがよしこちゃんであり続けるのは、『よしこ』というプログラムになっているからです。そのプログラムが変わると、もしかすると『わるこ』ちゃんになるかもしれません(笑)。前の人生では別のプログラムを持っていて、その結果として、今世のよしこちゃんがあるのです。そしてこの先、さらによしこちゃんになるのか、或いはわるこちゃんになるのかは、今の生き方にかかっています。」

はたしてさらによしこになるのか、わるこになるのか?
はたしてさらによしこになるのか、わるこになるのか!?

「現象世界には、永遠はありません。しかし、現象の奥にあるものというのは物質ではありませんから、そのプログラムが成立している限り、物語として続いていきます。
今は西暦2017年ですが、僕はよく、3000年までのプログラムが始まったと言います。『西暦3000年なんて私は生きていないから関係ないわ』と思うでしょう?でも実は、そのスケールのサイクルでものごとを捉えている人には、関係があるのです。よく、人々がわかりやすいように『皆さんの子孫のために』と言いますが、それは実は自分自身のためなんですよ。今あなたがその魂で成立しているということは、過去にその魂で生まれてくるような生き方をした結果であり、ひとつの物語としてずっとつながっているのです。」

今現在も、私たちは地球に乗って秒速30kmというスピードで宇宙空間を移動し続けています。自転しながら、公転しながら、歳差運動しながら、微振動しながら移動し続ける地球の動きをいさどんは地球儀ボールを使って解説。こんなに複雑な動きをしながら地球は宇宙を移動し続けており、その動きによって地球上に1日や四季がもたらされ、その中で私たちは生きているのです。

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ここからさらに、話はどんどん深まっていきます。
星の動きと人類の歴史や個人の人生がいかに連動しているかということ、時代と共に北極星は移り変わっており、今絶対と思っているものも変化していくということ、私たちはそもそも「間違い」から生まれているということ、欠けているからこそ存在しているのであり、存在するためには欠けていなければいけないということ、欠けていることを認識するために生きていて、それを認識できるだけの特別な能力を人間は与えられているということ、紙の発明以来人間は平面でものごとを捉えるようになり、良いか悪いか、損か得かという二元思考が生まれたこと、人間の思考が鈍くなったのは余分なことを考えるようになったからであり、その余分を取り除けば自分の中から宇宙の真理が無限に湧き出してくるようになること ──── 等々。
とてもここには書ききれません(*_*)以下、スライドをご紹介しますので、どうぞご覧ください。さらに深く学びたい方は、ぜひ来年の真学校へお越しください♪

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受講生との活発なやり取りで話はどんどんふくらみ、講座時間内に終わり切らなかったため、続きは夜の大人ミーティングに突入。

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大人ミーティングで講座の続きをスタート

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・・・大人ミーティングでも終わりませんでした。

今後は情報量を調整します、と反省を語るいさどんとみかちゃん
今後は情報量を調整します、と反省を語るいさどんとみかちゃん

一コマの講座でこれだけの情報量を消化するのは、そもそもムリ。が、しかし、どれも重要な内容であることには変わりありません。
そこで!スケジュールを変更し、明後日の午後に続きをやることになりました。ここまでは、過去の人類の歩みや現代社会の実態などを見てきましたが、ここからは、その現代を私たちはどう生きていくのか、という内容に入ります。

今、社会の現状を分析して何が問題なのかを語る人は多くいますが、ではそこから実際にどう生きていくのかという代替案に出会うことはなかなかありません。けれども、大切なのはそこからなのです。

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それでは、どうぞ明後日の講座をお楽しみに!

物語は、つづく。